助けられてない

とか

タイミングが

とか

不器用だから

とか



感謝する言い訳は出るのに何故

ありがとう

一言が出ない。

感謝は胸の内に閉まっていても伝わらないし、

伝わらないのならしていないのと一緒だ。

感謝とは、単純なものではなくて、

人にとっては生きる価値を肯定する

重要な言葉になりえる。


ありがとうとは、

行いの肯定であり

行動の評価だ。

ありがとうと言われた行いは自信が持てる。

「俺にはこんな能力がある」

「俺にはこんな特技がある」

「俺にはこんなことができる」

自分に対する可能性を見つけることができる。

感謝するってことは、

「生きていていいよ」って言うことで

褒めるってことは、

「生きていてよかった」って思わせること。


感謝しないって言うのは

その人の生存に対する否定だ。




人は感謝しなければいけない。

感謝は、生きる指針だ。

どうしてだか、こうしてだか

自分が満たされないのが嫌で八つ当たりをしてしまう。

最低な自分と

傷つけた誰かと

失う恐怖で胃が痛い。



よく

無償の愛

という言葉を聞くけど。

私見で言うと、存在しない。



正確に言うと、

無償の愛という種類が存在しない。

そもそも、愛とは

無意識に

無自覚に

無呼吸で

出るもので。

誰かのためにとか、

自分のためにとか、

そういう感情の上で発生するものではない。

よく言われる言葉を借りるなら、

それらこそが自己満足だ。


何かを意識してるわけじゃなく、

理由は後から付いてきて、

とっさに出ている行動。


それが愛なのではないかと思う。

何か見返りを期待してはいない。

でも、与えなければと無性に思う。


何故与えるのかと考えるのではなく、

何故与えたのかと考える。

そういう行動がなのだ。


ここから話を戻すと、

無償の愛が存在しないというのは

愛が既に無償のものだから。

与えるときにはそれこそ、

見返りなんて考えてはいない。


誰かを本気で叱る行為。

自分に得はなく、失う恐怖と、批判の嵐。

それをやってのける勇気はとっさに出るもので、

そのすぐ後のバッシングよりも、

数十年後のまっすぐに育った姿を無意識に思い描く。

後から来る苦痛も、

確実に減る信頼も、

自分にプラスにはならない。

それでも、行動はしてしまう。


愛が無償だからだ。





人を本気で叱ってわかる。

本気で叱られることの大切さ。

愛情。

感謝。

もう一度、本気で叱られたい。

道を踏み外したなら、本気で打たれたい。

そんな人はすっかり減ってしまった。

だからこそ、俺はそういう大人になりたいと思う。

よく、「愛されるにはどうすれば?」

と聞くと、

「見返りを求めない」とか

「誰かのために行動する」とか


そんな答えが返ってくるけど、




見返りの無い愛、

つまり無償の愛は



存在するの?




俺が思うに、見返りを求めないとか、

誰かのためにとか、

耳触りのいい言葉を安易に口にする人は


自分が愛されていて、

見返りもあって、

今現在満たされてる人ではないか。


与えられている人間は、

与えられていない人間の気持ちから最も遠い

そして、与えることを面倒くさく思うために、

そんな安易な言葉で疲弊しきった人を傷つける。

与えられることが当たり前すぎて、

搾取し過ぎていることに気づいていない。





愛は見返りを求めなければならない。


愛とは無限にわくものじゃない。

あくまで、心の余裕

余っているから分け与えることができる。

当然、与えれば減るし、

受け取れば増える。


単純。


与えるばかりじゃ、疲弊するだけ。

受け取るばかりじゃ、価値観が薄れるだけ。

与えたのならば、

受け取らなければならない。

でなければ、

気持ちは疲弊し、心が少しずつ崩れ、

最終的には壊れてしまう。


確かに見返りを求めないことが理想かもしれないが、

必ずしも、すべての人が何も言わずとも見返りをくれるとは限らない。

実際に多くの人と付き合ってみれば十人に一人ぐらいは、

与えられた愛を平気で、しかも無自覚で、持ち逃げしてしまう。

そして、そういった人間に限って

「見返りを求めてはいけない」と言う。

しかし、持ち逃げした人間がいるために、

気持ちの絶対値は明らかに減る。

与えられることに甘んじて、

利用する。

されないために求めなければならない。


さらに、良好な人間関係を築くなら


見返りがなければならない。


片方からの搾取ではなく、

双方が与えた分を受け取らなければバランスが保てない。

片方ばかりが受け続け、

片方ばかりが与え続けたら、

片方は与えられているものに飽き、

片方は受け取れないことに疲弊する。

その姿は良好とは言えない。

与えたら受け取ることが当然で、

受け取ったら与えることが当然。


愛ある行動は無意識に起るが、

感謝ある発言は意識しなければ起らない。




見返りは必ず要る。

なければ、何もかもがうまくいかない。

関係性が崩れた時、

求める側が悪い場合が多いから

「求めてはいけない」と言われるが、

求める側にはちゃんと与えているか、

与える側からちゃんと受けているか、


しっかり見つめなければいけない。



と俺は思う。





あくまで私見だから、

あてにはするなよ。