よく、「愛されるにはどうすれば?」
と聞くと、
「見返りを求めない」とか
「誰かのために行動する」とか
そんな答えが返ってくるけど、
見返りの無い愛、
つまり無償の愛は
存在するの?
俺が思うに、見返りを求めないとか、
誰かのためにとか、
耳触りのいい言葉を安易に口にする人は
自分が愛されていて、
見返りもあって、
今現在満たされてる人ではないか。
与えられている人間は、
与えられていない人間の気持ちから最も遠い。
そして、与えることを面倒くさく思うために、
そんな安易な言葉で疲弊しきった人を傷つける。
与えられることが当たり前すぎて、
搾取し過ぎていることに気づいていない。
愛は見返りを求めなければならない。
愛とは無限にわくものじゃない。
あくまで、心の余裕。
余っているから分け与えることができる。
当然、与えれば減るし、
受け取れば増える。
単純。
与えるばかりじゃ、疲弊するだけ。
受け取るばかりじゃ、価値観が薄れるだけ。
与えたのならば、
受け取らなければならない。
でなければ、
気持ちは疲弊し、心が少しずつ崩れ、
最終的には壊れてしまう。
確かに見返りを求めないことが理想かもしれないが、
必ずしも、すべての人が何も言わずとも見返りをくれるとは限らない。
実際に多くの人と付き合ってみれば十人に一人ぐらいは、
与えられた愛を平気で、しかも無自覚で、持ち逃げしてしまう。
そして、そういった人間に限って
「見返りを求めてはいけない」と言う。
しかし、持ち逃げした人間がいるために、
気持ちの絶対値は明らかに減る。
与えられることに甘んじて、
利用する。
されないために求めなければならない。
さらに、良好な人間関係を築くなら
見返りがなければならない。
片方からの搾取ではなく、
双方が与えた分を受け取らなければバランスが保てない。
片方ばかりが受け続け、
片方ばかりが与え続けたら、
片方は与えられているものに飽き、
片方は受け取れないことに疲弊する。
その姿は良好とは言えない。
与えたら受け取ることが当然で、
受け取ったら与えることが当然。
愛ある行動は無意識に起るが、
感謝ある発言は意識しなければ起らない。
見返りは必ず要る。
なければ、何もかもがうまくいかない。
関係性が崩れた時、
求める側が悪い場合が多いから
「求めてはいけない」と言われるが、
求める側にはちゃんと与えているか、
与える側からちゃんと受けているか、
しっかり見つめなければいけない。
と俺は思う。
あくまで私見だから、
あてにはするなよ。