ブログネタ:一番下についてる焼き鳥どうやって食べる?
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食べるときに人の目を気にするのなら、箸で取ればいいだけです。


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ブログネタ:時間、愛情、お金、ほしいのはどれ?
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生あるものはやがて死を迎えるわけであります。
者に与えられた命にしろ、物に与えられた仮初の命にしろ。
それは必然であり絶対なのです。
誰も抗うことは出来ません。
今この時この瞬間を生きている、ということは
結局のところ単なる偶然の積み重ねに過ぎないのです。
誰か や 何か の取った選択肢は、
何処かで 別の誰か や 別の何か が生きることに繋がります。
傍から見れば馬鹿馬鹿しかったり空しかったりすることでも、
それらが何処かしらで誰かしら何かしらの歯車となり、
上手く噛み合うことで現在までの繋がりがあるのです。
しかしながら偶然や奇跡がいくら積み重なったところで
必然には敵いません。
絶対、はいつか訪れるのです。
「意味の無い事などない」、と人は言うけれど。
“意味の有る事”などあるのでしょうか。
そもそも。
“意味”とは何なのでしょうね。
飴細工にしても何にしても。
凡人には到底持つことの出来ない技術で
凡人には到底思いつかないような作品を
作れたり創ったりする人がいるみたいです。
吃驚ですね。

何処にでもいるありふれた極々普通の平凡な一般市民たる私は
ただただ驚嘆するしかありません。
苦手ですからね。そういうの。
『テーマ:自由』とか・・・。
一番厄介ですよね。
出題者が考えるのを面倒くさがっているだけなのでは・・・と
思わず邪推してしまいます。
とりあえずそれなりに頑張ってつくりあげてはみるものの、
あとで振り返ってみると不思議なチョイスだったりします。
小学2年生のとき、粘土で『スズメがミミズを食べているところ』を、
小学6年生のとき、紙粘土で『ブロッコリー』と『茄子』を作りました。
どうも私の感性はシュールとかリアリスティックな傾向にあるようで。
もしも今後何かをつくる機会があれば、
半壊した国会議事堂か某市役所にでも挑戦してみようと思います。
ブログネタ:今年は豆まきする?
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