一番下についてる焼き鳥どうやって食べる? ブログネタ:一番下についてる焼き鳥どうやって食べる? 参加中

勿論、美味しくいただきます。ウマーヤキトリ

命をいただいている側として当然の礼儀です。

あんまり美味しくなかったら少し考えるかもしれませんが、

幸いなことに美食家ではありませんし味にうるさくもないので

たいていのものは普通に美味しくいただけます。ご飯


食べるときに人の目を気にするのなら、箸で取ればいいだけです。

箸で取るのが面倒なら、横から噛り付けばいいだけです。

(正面から行くのは止めましょう。危ないですよ)顔(ダメ)

それすらも面倒なモノグサさんは焼き鳥など食べてはいけません。

お店の人と焼き鳥に失礼です。チョコボ
時間、愛情、お金、ほしいのはどれ? ブログネタ:時間、愛情、お金、ほしいのはどれ? 参加中

相対的ではなく、絶対的に増えるのであれば、

時間が欲しいです。

だって唯一自分の力ではどうにもならないものじゃないですか。


お金は働けば入って来ます。

収入が少なければ支出を控えれば何とかなります(・・・多分)。かな

愛情・・・も自分の力ではどうにもならないのでしょうけれど、

そもそもそれほど必要に感じません。

無くて何が困るのかと言われたら、答えることが出来ません。…。

でも時間は違います。

何をしてもしなくても過ぎゆきそして減りゆくものです。



まだ雪が残る木の下で梅の香りを楽しんでいても

時間は確かに流れゆくわけです。

ledosさんのブログ

生あるものはやがて死を迎えるわけであります。


者に与えられた命にしろ、物に与えられた仮初の命にしろ。


それは必然であり絶対なのです。


誰も抗うことは出来ません。



今この時この瞬間を生きている、ということは


結局のところ単なる偶然の積み重ねに過ぎないのです。



誰か や 何か の取った選択肢は、


何処かで 別の誰か や 別の何か が生きることに繋がります。


傍から見れば馬鹿馬鹿しかったり空しかったりすることでも、


それらが何処かしらで誰かしら何かしらの歯車となり、


上手く噛み合うことで現在までの繋がりがあるのです。




しかしながら偶然や奇跡がいくら積み重なったところで


必然には敵いません。


絶対、はいつか訪れるのです。




「意味の無い事などない」、と人は言うけれど。


“意味の有る事”などあるのでしょうか。


そもそも。

“意味”とは何なのでしょうね。

飴細工にしても何にしても。


凡人には到底持つことの出来ない技術で


凡人には到底思いつかないような作品を


作れたり創ったりする人がいるみたいです。


吃驚ですね。ぽかんぽかん


何処にでもいるありふれた極々普通の平凡な一般市民たる私は


ただただ驚嘆するしかありません。20へぇ



苦手ですからね。そういうの。




『テーマ:自由』とか・・・。


一番厄介ですよね。けっ!


出題者が考えるのを面倒くさがっているだけなのでは・・・と


思わず邪推してしまいます。


とりあえずそれなりに頑張ってつくりあげてはみるものの、


あとで振り返ってみると不思議なチョイスだったりします。


小学2年生のとき、粘土で『スズメがミミズを食べているところ』を、


小学6年生のとき、紙粘土で『ブロッコリー』と『茄子』を作りました。



どうも私の感性はシュールとかリアリスティックな傾向にあるようで。


もしも今後何かをつくる機会があれば、


半壊した国会議事堂か某市役所にでも挑戦してみようと思います。

今年は豆まきする? ブログネタ:今年は豆まきする? 参加中

豆まきはしませんでした。

(まきたい相手はたくさんいました)

勿論、食べはしましたよ。

(食べ物は食べられるために存在するのだと思います)

仕事先でいただきました。

(いろいろな所で配られたようです)

袋ごと美味しく流し込んだので

(一応言っておきますが、嘘です。信じたければどーぞご自由に)

実際のところ何個入りだったのかは分かりませんでしたが、

とりあえず、歳の数には足りなかったな、というのは分かりました。