職場でも色々と起こりそうなので、まとめておく。

 主文だけ読んでワーワー騒いでも仕方ないと思う。

 

 

 法廷意見を私なりにまとめると以下。

 あくまで私の個人的なメモで不正確であろうことは先に強調する。

 正確には新聞等で自己責任で参照のこと。私は読売新聞の33面がソース。

 まず2つの限定に触れていると個人的には思う。

 

 *対象の限定

 1)性同一性障害と医師の診断を受けている

 2)性暴力の可能性は低いと医師の診断を受けている

 

 *状況の限定

 1)実際に使用してきたこの数年間トラブルはなかった

 2)トイレ使用に明確に異を唱える職員はいなかった

 3)職場が見直しを検討することをしていなかった

 

 状況の限定で2)は異を唱える者がいなかったのではなく、異を唱えられなかったのかもしれないが、そこはどういう議論があったのかは傍聴していないし、そこまでの関心はないので、わからない。

 1)は結果論と考える。

 

 重要なのは対象の限定で、特に「医師の診断を受けているかどうか」ではないか。

 

 

 補足意見が法的にどのうような効力をもつのか知らないが、覚えておいてもいいと思った。

 私なりのまとめ。

 正確には新聞等参照。

 

 今崎裁判長。

 *このような事例で他職員への説明や理解のないまま、自由なトイレ使用を無条件に受けいれるコンセンサスは社会にまだない。現時点では関係者、当事者が話し合って解決策を探るしかない

 この判決は、トイレを含め、不特定多数の人々の使用が想定されている公共施設の使用のあり方について触れるものではない

 

 最後の文章が重要。

 今回の判決は、あくまで、経産省内の、ある部署の、ある職員の話と限定している。

 トラブル時に備えて、今崎裁判長のご意見は記憶しておくことにする。

 

 宇賀裁判官。

 多様性を尊重する社会に向けて、制限見直しも可能だったのにしなかった。

 職場環境改善の取り組みが不十分である。

 

 長嶺裁判官。

 必要に応じて使用制限の維持を正当化できるか見直す責務があった。

 

 お二人とも同じ主旨で、定期的に制限見直しの努力が必要だったとの御指摘。

 制限自体が不適当とは明確には述べられていない(と思う)。

 宇賀裁判長は「当面の間の一定の制限はやむを得なかった」としている。

 要は制限の維持が妥当かを検討せず、放置したのはいかがなものかということではないか。

 これはひっくり返せば、異を唱える女性職員が増加してやはり困るということになれば、制限が強まる可能性を認めることになるのではないかと思うが、法的文書や公文書の作文の行間の読み方がわからないので、ただの感想。

 

 渡辺裁判官(この方は唯一の女性)、林裁判官。

 女性職員が一様に不安を抱くという前提にたたず、可能な限り共生を目指し、理解を求める方向での対応が行われることを強く期待する。

 

 「一様に不安を抱くという前提にたつな」というのは正論なのだが、正論なので、そうですねとしか言えない。

 その前提のさらに前提として、まだ様々な場で不均衡のある日本で、女性が安心して自由に発言可能な機会が担保され尊重されるべきなのは言うまでもないなどに触れてほしかった。

 

 

 私はフェミニストでもなんでもないし、LGBTQについてさしたる意見もない。

 ただ急激にものごとを変えることにはデメリットしかないとは思っている。

 以前書いた伊藤野枝さんと同じ考え方。

 

 みんなが満足する世の中など存在しないと思っているので、それぞれが少しずつ不便を我慢し、お互い様ですねというのが、普通の社会の在り方だと考えている。