マタイ受難曲を読みながら聴くようになったのは、BCJの影響。

 BCJのマタイの主にコラールは、話すようにアクセントが指示されているようなので、どうしてもテクストの意味を知りたくなる。

 

 

 眼鏡をはずしてプログラムに顔をものすごく近づける、”タケミツ・ホールの棟方志功”な異形の振る舞いをしたことで気付いたことを(間違いもあると思います)

 邦訳は鈴木雅明先生。

 ウムラウトなどは出せないので変形

 

 

 レチタティーヴォ11番

 イエスが誰かが裏切ろうとしているという。ユダの応答。

Judas: Bin ichs, Rabbi? 先生、私のことですか?

 Rabbiが強く発音され、ユダの動揺がよくわかる。

 

 イエスが弟子たちに、お前たちは、三度、私を知らないというだろうと伝えた後のコラール17番

Ich will hier bei dir stehen;     私は、ここに、あなたの御許にとどまります。

Verachte mich doch nicht!    どうか私を蔑まないでください!

Von dir will ich nicht gehen,    もう、あなたから決して離れません、

Wenn dir dein Herze bricht.    たとえあなたの心臓が破れようとも。

Wenn dein Herz wird erlassen もしあなたの心臓が

Im letzten Todesstoss,      最期の一突きに息果てようとも、

Alsdenn will ich dich fassen   私はかき抱きましょう、

In meinen Arm und Schross.   この腕とふところに。

 ここを強く歌い上げます。

 弟子たちの猛抗議。二回もnichtと言っている。

 これが後に効いていくる。

 

 弟子たちはゲッセマネでだらしなく眠り、イエス一人が苦悩している。

 その後のコラール25番

Was mein Gott will, das geschen allzeit, 神の御心は、常に成就するのです。

Sein Will, der ist der beste,  その御心こそ、最善のものなのです。

Zu helfen den' er ist bereit,  神は、常に備えておられます、

Die an ihn glaeuben feste.   神を固く信じる者に助けを与えることを。

Er hilft aus Not,        彼は苦難から助け出されます。

Der fromme Gott,       善なる神よ、

Und zuechtiget mit Massen.  そして、正しく懲らしめを与えられます。

Wer Gott vertraut,      神を信じ、

Fest auf ihn baut,        神に堅固な土台を据える者を

Den will er nicht verlassen.  決してお見捨てになることはありません。

 ここも力強く歌う。

 イエスへの励ましのようであり、彼の内心の葛藤のようでもある。

 

 捕縛され、弟子たちが逃げた直後のコラール29番

O Mensch, bewein dein Suende gross, おお人よ、あなたは罪の大いなるを嘆くがよい

Darum Christus seins Vater Schoss    そのためにこそ、キリストは御父のふところを離れ、

Aeussert und kam auf Erden;              この地上に来られたのだ。

Von einer Jungfrau rein und zart    潔く、やさしい処女より

Fuer uns er hie geboren ward,     地上の私達のために生まれ、 

Er wollt' der Mitteler werden.       執り成しの仲保者になろうとされた。

Den Toten er das Leben gab      死にたる人に命を与え、 

Und legt darbei all Krankheit ab,  すべての病を取り去られた。

Bis sich die Zeit herdrange,      やがて時が迫り、

Dass er fuer uns geopfert wuerd,    彼は私達のために屠られ、

Trueg unsrer Suenden schwere Buerd   私達の罪の重さを担って、

Wohl an dem Kreuze lange.      十字架の長き苦しみにつかれたのだ。

 イエスの奇跡の部分だけが強調されます。そう、彼は罪など犯していない。

 

 レチタティーヴォ31番、イエスの審問。

(略)auf dass sie ihn toeteten, und fundedn keines.  彼等は(祭司たちは)彼を(イエス)殺そうとしたが、何も見つからなかった

 強調部分を今度は弱々しく歌う。無実なのだから証拠など何もない。

 虚しい気持ちになります。

 

 人々が「死罪だ」と叫び、イエスに石を投げつける。

 コラール37番

Wer hat dich so geschlagen,  誰がかくも打ち据えるのですか。

Mein Heil, und dich mit Plagen わが主よ、あなたに苦痛を与え

So ueber zugericht'?      かくもひどい目にあさせるのは、一体誰なのですか?

Du bist ja nicht ein Suender   あなたは、確かに罪人ではありません。

Wie wir und unsre Kinder;      私達や子供達とは違って。

Von Missetaten weisst du bist.  悪事は、一切ご存知ないのです。

 英語ならYou are surely not a sinner、単純で力強い文を強調します。

 

 ペテロの否認。

 テクストが良く出来ていると思うのですが、最初にペテロは、Ich weiss nict, was du sagest あんたたちの言っていることは分からん、と曖昧に答える。

 しかし、二回目でとうとう、Ich kenne des Menschen nicht 私はそんな人を知らないと、答えてしまう。

 BCJの演奏では三回目の答え(同文)を、強く必死な様子で発音します。

 その後、鶏の鳴き声、「憐れみたまえ」です。

 これは泣かない方が無理。

 

 

 他にも、レチタティーヴォ53aでspotteten嘲笑するを強く発音する、コラール54の前半を強く、後半は柔らかく歌う、合唱58dの最後、Ich bin Gottes Sohnをいかにも憎々し気に歌う。

 

 もちろん、バラバだ!、十字架にかけろ!、神殿が壊れるシーンは大迫力。

 そして、最後の「まことに、あの方は神の子だった」の神々しさ。

 

 

 もう、こんなだからテクストを追いかけて聴いていると、あっという間に時間が過ぎてしまい、BCJのマタイはまったく集中が途切れない。

 

 オペラは苦手ですが、マタイは大好きです。