本を職場に置いてきてしまったので、引用頁は略。

 記憶で書くため、間違いがあるかもしれない。

 

 テーマは、素人の精神分析、倒錯、精神病、思想との関係の四部に分かれている。

 分析家と思想家、さらにコメンテーターがテーマについて論じあうという構成。

 

 最近、興味をもっている倒錯についての議論では、妙木先生ご指摘の”現実の倒錯行為と倒錯理論の乖離”にヒントがあるように思った。

 倒錯の場の猥雑さ(卑猥というよりも雑然としているという意味)に比べ、倒錯理論があまりに高度に図式化され、現実を理論は説明しているのかといつも疑問に思う。

 自分なりに考えてみたい。

 

 面接頻度という観点から、リズムについて精神分析学会では議論されてきたが、村上先生のリズム論に十川先生は大きなインパクトを受けたという。

 とはいえ、村上先生は音楽のリズム、十川先生はダンスのリズムで違いがあると、十川先生ご自身はお書きになっている。

 村上先生が依拠しているのはマルディネのリズム論だが、マルディネはパンコフと一緒に研究をしていたはずだ。

 パンコフは粘土づくりを治療に用いて、身体性から統合失調症治療にアプローチした。

 パンコフ(身体性)→マルディネ(音楽、絵画)→村上(音楽)→十川(ダンス 身体性)とぐるっと循環しているのが興味深い。

 臨床と思想の関係とはこういうものなのだろう。

 

 

 一つだけ。

 私は本書のもとになっているシンポジウムに、いくつか参加していた。

 精神病のシンポジウムでは、演者がもう一人いらっしゃった。

 そのもう一人の演者、内海先生のご発表が原稿化されていない。

 事情はよく分からない。

 

 当日だったが後日だったか記憶にないが、内海先生のご発言に私は深く同意する。

 そのことはここには書かない。

 精神分析には、理論の是非とは違った次元の問題があるのは確かだと思う。

 

 週末、仕事の後に一気に読み終えた。

 大変に勉強になった一冊。

 

 

 

十川幸司・藤山直樹編:精神分析のゆくえ 臨床知と人文知の閾 金剛出版、東京、2022