仕事を早々に終わらせ、楽しみにしていた講演会へ。 

 前半はセールのインタビュー映画。後半がセール研究者の先生のご講演。

 

 

 セールのインタビューから(文責はブログ主 記憶違いがあるかもしれない)

 

 セールにとって問題なのは「私は誰か」ではなく「私はどこにいるか」

 

 

 セールの父は採石業(?)に従事するブルーカラー。

 第一次大戦に参加し心に傷を負った状態だったらしい。

 母は村で唯一結婚できた女性だった。

 当時、同世代の仏人女性のほとんどは、婚約者が戦死して結婚できなかったという。

 → 想起するのはラディゲの「肉体の悪魔」。

 

 幼いころから技術者たちを見てきた。

 → おそらくpoiesisについて考えることになっただろう

 

 父親は<社会>(原語で何と言っていたか聞き取れず)を悪と考え、セールが上位の成績をとると叱りつけて殴ったという。

 

 

 村の中を流れる川は、セールにとって「母」であり「娼婦」

 

 川の向こう側のことを考えていた。

 それはコミュニケ―ションを考えることでもあった。

 

 村の森林、大地、空、川、つまり自然がセールにとって”家”だった。

 既存の哲学は、都市の哲学、人間関係の哲学であり、セールはそのことに失望していた。

 

 

 人間にとって重要なのは「見すてられることabandon(見捨てること? 失念)

 記憶はその穴埋めをしてくれるが、忘却も重要。

 

 

 書くことは知的活動というより身体的運動。

 

 身体的運動はいくつもの思考の連鎖。

 

 

 セールは暴力について考えたいと思っていた。

 → 彼は原爆のニュースにショックを受け、戦後、海軍学校に入りスエズ戦争に従軍した。

   エコール・ノルマルに入ったのはその後(!)

 

 戦争とは「息子殺し」である。

 

 

 哲学にmethodはあるのかを考えてきた。

 あらゆることを哲学者は知る必要がある。百科全書的に。

 

 実践的pratiqueで活動actionを先取りする哲学を追求した。

 

 

 大事なのはjoieでありplaisirではない。

 

 

<感想のようなもの>

 インタビューでセールは、繰り返し自然の音について話しており<耳>の哲学者という印象を受けた。

 セールの著作にはよくnoiseが出てくる。

 

 セールの著作は様々な学問が入り乱れるのだが、それが彼の哲学の方法だったのだと理解。

 また彼にとって大切なのは、知的体系や人間の内面性より自然や身体性で、彼が求めていたのは、実践的な生に貢献する思考、思想だったらしい。

 

 セールの著作は文章そのものは難しくなく「何が書かれているのか」は分かるのだが、「何が言いたいのか」が大変に分かりづらい。

 今、読んでいる本も冒頭から延々と数学の歴史が書かれていて、これで何を言いたいのか一向に出てこず、何を読まされているのだろうと思ってしまう。

 

 後半の縣由衣子先生の御講演は、合計70冊(!)もあるセールの著作と思想を、わずか30分で簡潔にまとめてくださるという素晴らしいもの。

 

 将来、ご著書をお書きになるのだろうし、営業妨害になるのでタイトルだけ。

 私の”秘蔵のメモ”はノートに書き写しておくつもり。

 縣先生によれば、セールの思想は

  1)ネットワークをつくる準ー客体quasi-objet

  2)自然と契約を結ぶこと

  3)人文知と科学知を繋げ、時間の束をつくる

 にまとめられるという。

 

 3)はセールが一時同僚だったフーコーの影響があるのかもしれないが、わからない。

 私の理解不足で「時間の束をつくる」の意味が分からなかったのが心残り。

 縣先生の御研究は、セールの第三項とnoiseの意義についてだそうで、検索すると論文が入手できた。

 最後に、日本で今、セールを研究することの意味も提示なさっていた。

 

 

 映画で印象的だったのが、セールがアカデミー・フランセーズの会員に選ばれ栄誉ある挨拶をするシーンがあるのだが、彼がそこで行ったフランスの政治家に対する激烈な戦争責任批判。

 「空気を読む」ことが大事な日本人には考えられない。

 漢だなあと感心。

 それから、これまでの文章は「愛する人に書いて」いて、宛名を削ることで「本になる」とも言っていた。

 ということは、彼の著作や論文は誰かへのレスポンスかもしれない。

 セールの著作を読む上で何かヒントになるかもしれないと思った。

 

 講演での印象はもちろん内容のすばらしさだが、もう一点、縣先生がとんでもなくお美しい方だったこと。

 大変に下世話なことで研究と何の関係もなく、縣先生に対してセクハラになるのでこれ以上は書かないが、帰宅後、妻に延々とその話をしてしまった。

 すまぬ、妻。

 

 帰路、午後8時を過ぎ、私には場違いで居心地の悪い美しい夜景の恵比寿の街中で、日仏会館から出てきた私より10歳くらい年上と思しき男性2人が、「あんな難しい哲学をねえ」「若い女性はフランスが好きだから」と、もはや何のハラスメントに該当するか分からない感想を述べあっていた。

 日仏会館に来る人とは思えない時代錯誤な感想で、おそらく私と同じく、縣先生の、難解な思想をかみ砕いて説明してしまう能力とその美貌に、理性が麻痺してしまったのだと思う。

 

 

 残念なのは縣先生がセールを研究対象にするきっかけとなったという本のタイトルを忘れてしまったこと。

 冒頭をお読みになり、「こんなに美しい文章を書く哲学者がいるのだと思った」とおっしゃったと記憶している。

 読んでみたいのだが、本当に残念。

 

 

 大変な刺激を受けて、コミュニケーションについてずっと考えながら自宅に戻った。

 しかし恵比寿は遠い。 

 

 

 

日仏文化講演シリーズ第362回「哲学者ミシェル・セール 百科全書的な旅 ドキュメンタリー映画と講演」 2022年11月2日 日仏会館