面白くて、あっという間に読み終わってしまった。
「幼年時代」「性に眼覚める頃」も同時収載。
犀星の10代から20代を追いかける読書体験。
「幼年時代」
全体的に感じるのは、犀星の真っ直ぐさ。
複雑な境遇で孤独感や寂寞感を抱いていることや、恐らくその反動で、半ば自棄的に乱暴な振る舞いをしてしまうことが描かれる。
しかし、犀星が、心底、拗ねたり捻くれたりしている印象がない。
彼を嫌う教師や(p23)、同級生、見知らぬ同世代の子に対して(p27、43)、犀星はちょっとした優しさを見せるし、人を疑うことのない素直さを持っていることが分かる(八~九)。
養子に出されて薄幸とされる犀星だが、意外に周囲から大事に育てられていたのではないだろうか。
本作で、実母に会いに行くことを咎める養母は、世間体から実母のもとになるべく行かないようにと犀星に注意しているだけで、実母のもとに行くなとは言っていない。
また、親違いの姉は犀星のことをとても可愛がっていた(p35、38)。
その後に犀星を引き取る二番目の養父との関係は大変に良く、彼はその生活を「幸福」だったと記している(p48)。
技法も、ある意味、真っ直ぐだと思う。
姉が母親の代理であり、理想の女性像なのは説明されなくとも分かるのだが、犀星は「私にとって母であり父であった」(p57)と、普通は削除すると思われる文章を素直に書いてしまう。
確かに、寂しさや女性への過剰な理想化はある。
けれども、人を信じられない闇のようなものを感じさせない。
「性に眼覚める頃」
印象に残ったのが、フェティッシュなまでに肌の質感を描くこと(p76,95,97,114など)。
犀星が好意を抱いた女性が盗みをはたらくシーンで、丁寧に描かれる彼女の手の動きや質感はとても艶っぽい(p85-86)。
題名に関係する点で興味深いのは、盗みを窃視することで抱く、はっきりと「性的」と書かれた興奮(p88)、衝動的に雪駄を盗んでしまう逸話(p99-100)。
特に後者は「美しい彼女の肢体の一部を切り」とっているような「深い悩ましい魅力」があり(p99)、雪駄の「膏じみたにおい」を感じたと描かれる(p100)。
17-18歳で性的成熟に達していないため、性的な対象をまだ部分的なものでしか捉えられない様子が、正確に記されていると思う。
さらに、この時期に特有の性への嫌悪感も正直に描かれている(p100、124、129)。
また「幼年時代」同様に本作でも、犀星の誠実さ、真っ直ぐさを感じる。
とりわけ友人の恋人、お玉への態度や彼自身の心の動きで、犀星が生真面目な性格であることがわかる。
本作で強く感じ「幼年時代」でも印象的だったのが、犀星が感情を丹念に言語化すること。
たとえば「幼年時代」なら、ある少女への想いと姉への想いを「かわいさ」と「かわいがられたさ」と区別する(p52)。
本作なら、友人とお玉が深い関係だったことを知った時、「ねたみ」「可憐」「小気味よさ」「いらいら」「友人への怒り」などが同時に湧き上がることを細やかに描いている(p124)。
「或る少女の死まで」
印象的なのが少女の神聖視。
「五つ六つころから十六七時代までの目の美しさ」は「精神のきれいさをそっくり現した」(p169)、少女の顔を一瞥した瞬間に「花のようなものを投げつけられたような気がした」(p199)など、理想化し過ぎではないかと思う。
しかし、もしかすると犀星にとって、少女は聖なるものである「必要があった」のかもしれない。
この短編は少女との交流が主な筋になっているが、芸術家として世に出る前の若者たちの友情や結束、ささやかな野心も同時に描かれている(p154、183-185、199-202)。
本作は、ある年齢になると実感する、俗世に出ることで失われる純粋さへの衷心が描かれていると考えていいのではないか。
そうであれば、下卑た大人たちは金を得て(p161)、聖なる少女は死んでいかなくてはならない。
本作の構造で面白いのが、無垢な少女と、下卑た女性と粗雑な男を、交互に登場させている点で、これは犀星の意図だろうか。
韜晦な表現がまったく無い、それでいて丁寧で繊細な描写で、私のような捻くれ者であれこれひけらかしたい人間は、心が洗われたような気がする。
犀星の詩の印象――私はハルキ文庫で買った――、技巧を凝らさず簡明に感情を描き、「印象が濃い詩というより薄い味加減の詩だが、何度も読み返したくなる」(解説:岡崎葉p236 「室生犀星詩集」)感覚をそのまま小説という形に落とし込んだような三編だった。
本当に面白かった。
室生犀星「或る少女の死まで 他二編」 岩波文庫、東京、1952(入手本は古本で1978年)