70年前の日本人の手紙はこんなに上品だったのかと驚く。そして、敬意を払う言葉の数の多さにも驚く。

 

   

60歳代ころ?の田辺      1950年代の野上

 

 

 1950年から始まる手紙のやりとりは、最初、野上からが多い。

 1953年6月にギリシャ語について野上が質問をしたらしく、その返事(書簡19)の後からやりとりが急に増え、以後、ほぼ2~3週に1通ほどの頻度になる。

 徐々に手紙の内容の熱量は上がるのだが、1954年12月が大きな転機のように思う。

 

 野上があることで愚痴を書き送る。

 田辺が慰めの短い手紙を送ると、野上は「お目にかかり度くなつていけません」と返事を書く(書簡126)。 

 その後から、お互いの苦労をねぎらい、下品にならない表現で二人だけで共有される噂話や、社交の愚痴、人間関係の煩わしさが書かれるようになる。

 野上からの手紙が少し途絶えたらしく、いつもつっけんどんな田辺が「御風邪でも御召しになったのではないか」と野上に書き送って、結果として手紙を催促しているのが微笑ましい(書簡137)。

 

 1955年春には、これまで教える側だった田辺が内面を吐露し、野上に文学について教えを乞う(書簡154)。

 

 1955年夏、北軽井沢で哲学講義という形で再会。

 

 邂逅後の手紙。

 自分のアイデアを「奥様の如き熱心と理解をもつて飽くことなく聴かれる人」をもつ幸せで「生甲斐を御与へ下さいます」野上に感謝の言葉を繰り返す田辺(書簡176)。

 「はじめて学ぶことに憑かれた人」を知り「先生なしには精神的には生きえない」と返事を書く野上(書簡177)。

 

 もはやラブレターである。

 

 帰京の際には涙を見せたらしく、その理由を野上は、子供達が近くに住んでいるが干渉しないようにしているので却って孤独だからと書いているが(書簡185 「笛」を思わせる)、もちろんそれだけではないだろう。

 

 可笑しかったのが1953年正月の手紙。

 勉強に専念するので、今後は以前ほど返事が書けないと思うので勘弁してほしいと書く田辺(書簡193)。

 構いません、でも一方的にでもお手紙を送りますと返事をする野上。

 結局、その後も同じ頻度で、同じ熱量のやりとりが続く。

 

 

 二人とも、手紙のやり取りが途絶える直前まで新しく何かを読み始めている。

 二人とも、学ぶことが心の底から喜びだったのだろう。

 

 どうせ老いるなら、このように老いたい。

 

 

 

 

 

 <野上の書簡で興味深い点>

 漱石庵には学問的「アトモスフィア」がない(書簡61)

 中世ラテン語は哲学者の思考に影響を与えた。ライプニッツは平板な中世ラテン語で思考した最後の哲学者、パスカルはフランス語で思考した最初の思想家(書簡88 河野氏の講義)

 和辻の論には粗雑な点がある(書簡188 189で田辺は同意し補完説明)

 野上は独身時代の神谷美恵子と会っていたが交渉が絶え、「自省録」を手に取って気がついた(書簡239 返事で田辺は神谷の訳を非常に褒めている)

 田中美知太郎の「ソクラテース」が薄っぺらいと感じてプラトンを読み返した(!書簡241)

 短編「明月」の労使関係の変化と同じ記載(書簡264)

 

 書簡で議論になっていた野上の「迷路」をぜひ読みたい。

 

 

 <田辺が勧めた本>

 「ニコマコス倫理学」、「方法論序説」、「純理」、「精神現象学」

 ライプニッツ「自然と恩寵の原理」はカント・ヘーゲルに匹敵する重要論文と勧めている → ぜひ読みたい

 キルケゴール「反復」「不安の概念」

 手塚訳の「ドゥイノの悲歌」は必読

 *プラトンやプロティノスはいい訳がない(1953年12月)

 

 

 <田辺の仕事、考え、箴言>

 プラトン学派とプロティノスをハイデガー・リルケ解釈に用いる(書簡44 81ではヘルダーリンも)

 ハイデガーの思想におけるライプニッツとパスカルの対決を検討(書簡59)

 哲学は科学に重ねる晴れ着でなく、衣類をしめる帯(書簡62)

 「クオ・ヴァディス」はキリスト教への感激がある。社会状況で理解するのは冒涜(書簡64)

 ハイデガーのナショナリズムは腹立たしいがギリシャ古典思想解釈は素晴らしい。しかし眉唾(書簡70、141)

 ライプニッツと同じくヴァレリーも数学主義(書簡87)

 ヘーゲルは、哲学はじめはスピノジストになることだといった(書簡141)

 リルケ、ハイデガーの問題は歴史主義の欠如(187 野上の会話にインスパイアされたらしい)

 TSエリオットの「四つの四重奏」がハイデガーの時間論と似ている(書簡212) → ぜひ読みたい

 野上からのギリシャ語にラテン語resにあたるものはないのかの質問に;

 resはギリシャ語で一般にウーシア。これはただのモノでなく生きたモノの意味。ラテン語のresは私法の物件の意味で、ギリシャ語ではプラグマではないか(書簡233)

 イエーツ、キーツへの注目(書簡242)

 野上から送られた「死と愛」は精神分析的すぎて、読むつもりにれなかった(書簡244)

 カント、シェリングをイギリスに初めて導入したのがコールリッジ(書簡265)

 田辺は「イジチュール」の註解を書いた(書簡332) → ぜひ読みたい

 

 

 

「田辺元・野上弥生子往復書簡集」 岩波書店、東京、2002