初心に戻り、仕事の備忘録になるべく特化。
元来、悪文な上に、仕事の合間に書き散らかしているので、誤字脱字はひどいし、「ですます」「である」の混在もある。
とはいえ、その場で考えながら書くのは楽しいので、そのうちまた元に戻るだろうと思う。
夏休み最後の日に一気に書き散らしたデュラス作品の感想は、楽しくて楽しくて仕方なかった。
元論文の連載が2000年代から2010年代の本。
1990年代から約10年ずつ、北米と日本でフィールドワークを行ったと書かれている。
<役立ちそうな箇所>
男性のうつの語りは「仕事の圧倒的ストレスの物語」
そのことで自身の人格の核に触れずにすんだ可能性がある。 (第5章)
女性は多様で複雑な経過、因果関係、葛藤が特徴。
治療関係で繊細さが必要(理解の深い主治医であるがゆえに面談で高揚してしまう(のでおそらく疲弊する?)女性患者の例)
若い女性は、うつを過労ではなく、自己実現の失敗と捉えがち (第6章)
「(果てしなく)自己分析するのは、ある意味、病気」(p52 ジャネ)
精神療法では「蓋をする」(p127:飯田真:躁うつ病. 現在のエスプリ 88:5-16,1974)
リワークでの、感情や認知を数値化して介入する方法は、factory of correctionではないか(p209)
レジリエンスを”トレーニングする”とはどのような意味か(p212)
クレッチマーの譬え(Toelleの教科書に引用がある?注30、p64)
メランコリー親和型(本書は「気質」表記)は、秩序が脅かされることで攻撃的になる(p126)
引用文献なし。著者の考え? → 宿題
自殺
戦前:生物学的立場の医療 vs 社会/文化因に注目する知識人(坪内逍遥など)
戦後:実存的立場の医師(竹村堅次ら、1987) vs 反対陣営(石川清,1962)
現在:実存を排したbiologismではなく心身一元的なsomatismへ(北中,p56 )
しかし、生物学的楽観主義が台頭し、1950年代と似た状況
(抗うつ薬発見による楽観主義と反動:「状況因」への注目)(p58-59、120、122-124)
デュルケームの議論は、自殺を個人の精神病理に還元したエスキロールへの反論(p202)
日本のうつ:江戸時代の医学書、文学作品から
長年の心労に苦しむ(p72 知識人を想定)
内にこもりがちな生き方(p73-74 女性を想定)
中国での「気」は、日本と異なり、物理的な意味のまま(p75 日本の変容は貝原益軒から?)
Beardのneuroasthenia(1868)
日本では近代化による文明の病、過労の病として紹介(p87 1900年代ころから)
一般向けに1)病的な感情変化(易怒性) 2)思考が疲れやすい 3)疲れやすい 4)感覚が鋭敏で疼痛が多い 5)不眠症と説明された(p91)
欧米:「上流階級の過労」から「怠慢」「不名誉で恥ずべき病」へ
(Lutz Tの文献 in Berrios G ed. A history clinical psychiatry. Athlos, 1995)
日本:真の神経衰弱は1割で、多くが「先天性素質変性」とするドイツの研究を紹介(三宅広一、1921) → ある種の人格の反応(p95-96) → 森田により神経衰弱が否定され、神経質概念が提示される(p97)。戦後、神経症概念に吸収(p99)
厚労省は「ストレス―脆弱性モデル」をとった(p172)
電通事件で「日本で独自に発展した」「個人の素因と社会の状況因の相互作用」を確認した形に(p182)
政策は社会因の検討が中心になり(p183)、職場の心理的負荷尺度作成(p184)や社会因の判断基準の精密化が進む(p184-185)
つまり、労働者の心理特性より、労働時間や睡眠時間など簡単に数値化できる要因重視の政策になった(p186、206)
(1999年、個人の脆弱性尺度は作成されなかった → 個性は評価困難 p190、204-205)
<読後印象>
北米が心理化から極端な生物学的介入に振り切ったのに比べ、日本は生物学的・社会学的に対応している(p227)との北中先生のご指摘は、2000年代まではその通りと思うが、現在の日本は北米化していると考える。
しかし、だからといって介入の質が低下したと一蹴できないところが難しい。
神経衰弱概念は勉強すべきと再認識。10~20年前の新型うつ騒動と似た議論。
第7章は参考になった。ストレスチェック制度導入前の論文の加筆だが、当時の批判は今もってアクチュアル。
メンタルヘルス介入の考え方にダイナミズムが無くなっていること(p206)、レジリエンスへの過度な注目についての批判は全く同意。
ただ、精神疾患の要因の比重の時間経過や、タイプの違いがあまり触れられていない。
急性期は生物学的要素が、慢性期では心理・社会・文化的要素が強まるというのは現在でも通用する(が、実践は別)。
うつの要因が多面的多層的で、生物学的要素の薄いものもある(とされていたがDSMでは無視)。
とはいえ、人文系でよくある議論、「生物学 vs 心理・社会・文化」という分かりやすい対立軸にし、どちらへの介入が正しいかという、ありがちな議論ではない点で信頼できる、今となっては情報がやや古いが重要な文献の一つ。
<あとで入手すべき文献>
石川清:精神病理学の諸体系と了解精神病理学的方法. 精神経誌 64:953-957,1962
(自殺を実存的に把握することへの反対意見)
Janet P: The Fear of action. J Abnormal Psyhcol and Soc Psychology 16:150-160, 1921
Toelle, R Psychiatrie ?
宮本忠雄:躁うつ病患者のディスクール 同編「躁うつ病の精神病理2」7-?,弘文堂、東京、1979
木村敏:比較文化論的精神病理学 高橋良ほか編「躁うつ病Ⅱ」現代精神医学体系9-B 145-146, 1979
(メランコリー概念の輸入。日本における「うつ」の捉え方)
北中淳子:うつの医療人類学. 日本評論社、東京、2014