仕事をしていると社会の主流にいない方々とお会いすることが多い。
そういう点で勉強になった。
性風俗で働くある女性。
「私ね、風俗の仕事大っ嫌いなの。でも誰かに囲われて、鳥籠に入れられて生きるくらいなら、誰に何言われたって今の方がまし。だからこれからも風俗嬢」(p36、39)
性風俗は、最近、貧困問題と結びつけられる(p48)。
私の言葉なら「やむを得ず選んだ」。
一方、台詞の後半だけをとりあげれば「好きでやっている/自己責任」(p50-51)にシーソーが傾く。
私の言葉なら「敢えて選んだ」。
木村さんは上野千鶴子先生の議論を批判する。
労働の一つとしてのセックスワークと私生活のセックスが混同されていると(p52)。
確かにどんな仕事も「いつも嫌々働いているわけでもなければ、いつも楽しく働いているわけでもない」(p51)
しかし「いわゆる普通の」仕事とセックスワークでの「楽しいことも嫌なこともある」は同列か。
差別しているつもりはない(少なくとも倫理的に批判しているつもりはない)。
セックスワークは他の仕事と比べ、あまりにプライベートな領域に入り込み過ぎている。
誤解かもしれないが、セックスワークは緩徐にワーカーの精神を殺しているように思えてならない(自意識では働く喜びを得ていても)。
木村さんが「やむを得ず選んだ≒可哀そうな存在」か「敢えて選んだ≒リスクは自己責任な存在」かの単純な問題ではないと主張したいのは「頭」ではわかる。
しかし、この件、何度読んでも「感情」でわからない。
もう少し考えたい。
患者さんとの関係性。
入院は患者さんにとってどのような事態か。
「こうありたい」「他者からこう見られたい」という日常的な希望が排除される(p65)。
看護師はどのような存在か。
思い通りに体を動かせないところに現れる自由に動ける他者(p65)。
一方の看護師は、身体状態のモニタリング、点滴管理、検査などの送迎、転倒や褥瘡予防に必死で、「枕をかえて」「テレビをつけて」など「やらなくても死なないことを頼まないでよ」という気持ちになっている(p111)。
不幸なすれ違い。
しかし彼女(彼)らもそれではまずいと思い、矜持をもって仕事をしている。
たとえば患者さんから暴力を受けても、看護師が上司に報告する率は低いという(p71)。
以前、患者さんに無断離棟された時、担当看護師さんが大泣きしてしまった。
彼女はまったく悪くなかった。
そう伝えても「そんなことは分かっているんです。そういうことではない。悔しいんです」と言われてしまった。
だから黙って話を聞いているしかなかった。
仕事の参考になる箇所。
大量服薬の心理。なぜそんなことをしたのか思い出せない(p134 全てのODに当てはまらないのは言わずもがな)。
生保の不正受給は金額ベースで0.4%(p134 制度に対する勘違いもカウントされているので実質はもっと低い)。
「褒められるために勉強を頑張る」も「コーヒーを飲まないと集中できない」も依存ではないのか。
依存に無縁な人などいない(p162)。
木村映里「医療の外れで 看護師のわたしが考えたマイノリティと差別のこと」
晶文社
1600円+税
ISBN 978-4-7949-7242-2