小倉に行くチャンスがあり、離婚するは、左遷されるはで、鴎外が雌伏の時を過ごした小倉の鴎外邸を見に行きました。
小倉駅から徒歩で10分もかからない。
現在は橋が多くかかっていますが、当時は一番北の常盤橋だけだったそうな。
正面から。家の前の路地は狭くて、今は裏路地。
当時なら縁側から駅が見えたかもしれません。
わりと広い家です。
庭も大きかったのですが、当時はもっと広かったらしい。
青い線が現在の庭の広さ。
小倉三部作はこの家が舞台です。
表側が玄関から次の間を経て、右に突き当たる西の詰めが一番好い座敷で、床の間が付いてゐる(「鶏」p8)
文ストの鴎外(たぶん)がお出迎え。玄関の間。
「鶏」通り、次の間があって、奥の八畳が鴎外先生の書斎。
鴎外先生は、この床の間に本を置いていたらしい。
「石田は床の間の隅に立て掛けてある洋書の中からLa Bruyereの性格といふ本を抽き出して、
短い鋭い章を一つ読んではぢっと考へてみる。又一つ読んではぢっと考へてみる」(「鶏」p40)
百日紅が左に見切れています。
庭です。
どこかの奥さんがこの生垣から顔をのぞかせたのかなとか(「南隣の生垣の上から顔を出してゐる四十くらゐの女がゐる(略)何か盛にしゃべってゐる(略)石田は誰に言ってゐるかと思って、自分の周囲を見廻したが、別に誰もゐない」(「鶏」p39 鴎外先生に話かけているんですよ!)、小間使いのおばあちゃんが米を盗んでこの門から出たのかなあとか、鶏はこのあたりで卵を産んでたのかなあとか、しばし妄想。
写真手前、風呂?と思ったら、奥が風呂でした。帰宅して「鶏」を読み返したら井戸でした。
(「表側の次の間との裏が、半ば土間になってゐる台所である。
井戸は土間の隅に掘ってある」「鶏」p9-10)
何も知らないので、一々、発見があって楽しかったです。
鴎外、小倉で再婚したのですね(茉莉を生んだお母さん)。
あと小倉で市民向けに心理学を教えていたとか。
へーっと(小倉でなくても年表を見ればわかることですが)。
面白かったのが小倉着任すぐに地元新聞に書いたエッセイ。
福岡駅で雨に降られた。
鴎外、車夫をつかまえようとするが、皆に断られる。
後から、実は彼らが、金持ちの鉱山会社社長たちを待っていたことを知る。
そして、かの地の金持ち連中の遊行三昧ぶりも知ることに。
鴎外、怒ります。
九州には立派な歴史があり、学ぶべきことがたくさんある(と書いてありました)。
にもかかわらず、九州の金持ち連中は、なんばしよっと!と(なぜか博多弁)
で、こういうことを書いてしまう。
いや、大賛成なんです、書いてあること。
でも、いきなりこれは。
それは鴎外先生、嫌われるよー。
・・・と、鴎外旧宅の壁に掲示してあった、これを読んで、一人でにやにやしていました。
つづく