どちらも読み通すのに覚悟がいる本。

 

 「海をあげる」は上間先生のエッセイ。

 「裸足で逃げる」は研究結果をルポ形式で記したもの。

 

 

 DV、虐待。

 10代の妊娠、シングルマザー。

 

 上間先生は怒っている。

 はっきりとは書かれていないが、もしかしたらあり得たもう一人のご自分を、若い彼女たちにみていらっしゃるのかもしれないと思う。

 

 

 

 書かれている内容は、たとえ現場主義のフィールドワークだとしても、「研究」から逸脱している部分がある。

 しかし、拝見したことはないが、上間先生が専門誌に発表なさっているだろう「研究」は、インタビューに基づく「分析」「考察」を「客観的」に行っていらっしゃるのだろう(学問は一定の手順、作法で行われていないと、結果を認めてもらえない)

 

 ここに書かれていることは、客観的ないわゆる「研究」から漏れるもので、しかし実は重要な、本来ならフィールド研究者がなすべき倫理的行為なのではなかろうか。

 

 同情でも、支援でもない。

 研究同意を取得したかなどという形式に過ぎないものでもない。

 

 

 一度関わった以上、相手が求めてくれば、関わった者として助け続ける。

(本末転倒かもしれないが、むしろ知人であると考えればこそ、同意も情報管理も「倫理」「倫理」とお上に言わなくても個人の「道義」としてしっかり行うことになるのではないか)

 

 

 実は、10年ほど前、私もフィールドワーク的研究を数年行った。

 しかし、そこに漂う「ある種の無責任さ」を、専門家失格な私はどうしても受け入れられず、いったんの区切りの後は継続していない。

 あの無責任さに対して、どうすればよかったのかの回答がここにあった。

 そして、それは、とてもではないが私には無理だ。

 やはり、私は、あの研究を続けなくてよかったと思う。

 

 

 

 もう一つ、これら2冊に共通するのは、沖縄の貧困と地域文化の問題。

 歪みはもっとも弱い所に影響する。

 鉄の球を数個、木製の球を数個、粘土で作った球を数個、手にもってぐちゃぐちゃとかき回せば、一番弱い粘土の球は形を崩す。

 家庭も社会も同じ。

 

 10代の子供達がなぜこのような状況に陥らなければならないのか。

 

 

 

 地理的に遠く、そして環境が違い過ぎて、どうやって本書に書かれていることを飲み込めばいいのか。

 まったく見当がつかない。

 

 同情でも、妙な称揚でも、正義感ぶった怒りでもない、自分ごとに近づけて感じ考えることが、どうやったらできるのか。

 まったく見当がつかない。

 

 

 以下、引用p85-86。

 

 でも翼は(略)暴行された直後に美羽がとってくれた行動が、何よりも深く印象に残っていると話している。

 

 美羽は「大丈夫?」っていわなかったんですよ。(略)「何するのかな?」って思ったら、「美羽も、くるされた(ブログ主注:殴られた)みたいなかんじになったよ!」て化粧で遊んできたから!(略)そのときのそういう美羽が好きだったんですよ。「大丈夫?」っていっても、大丈夫じゃないじゃないですか。(略)そのとき、笑わせてくれたのが美羽だったんですよ。一応、笑ったら痛かったんですよ。「お願い!笑わせないで!」って。

 

 以上引用終わり。

 

 

 言葉を失い無力感にひたるしかなさそうな局面で、友人の殴られた跡と同じように化粧をして、泣きじゃくる友人を笑わせる(美羽もDV被害者)。

 

 互いに支え合う彼女たちの知恵以上のものを私は生み出せるだろうか。

 まったく見当がつかない。

 

 

 

 

 

 

上間陽子「裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち」

1700円+税

太田出版

ISBN 978-4-7783-1560-3

 

上間陽子「海をあげる」

1600円+税

筑摩書房

ISBN 978-4-480-81558-3