以前、シュピールラインの伝記を読みましたが、これは新資料を加えたもの。
カロテヌートの本はシュピールラインの存在を知らしめたという功績はありますが、もはや記念碑的意味しかないといってもいいでしょう。
センセーショナルな筆致だしユングに肩入れしすぎている。
本書を読むと、シュピールラインの人生でユングとの恋愛は、大きな出来事とはいえ、あくまで一つの逸話に過ぎないとわかりました(本質的に彼女は恋愛に嫌悪感を抱いてらしい p128-129、179)。
ザビーナは大学卒業後、医師・精神分析家としてミュンヘン、ウィーン、ベルリン、ロシアと居を移して東西ヨーロッパで活躍した。
一時は外科医としても仕事をしている!
そしてユングとフロイトの名を差し引いても歴史に残るべき女性だった。
なにしろ精神分析で学位をとった初めての女性(p174)で、フロイトに認められた最初の女性精神分析家だったのだから(第15章、p46注3)。
農家から商人として名をなし、神経質な父(第1章)。
名門出、歯科医免許をもつインテリで感情の起伏の大きい母(第2章)。
夫婦間に緊張感が漂いそうな家庭。
実際、ザビーナは幼いころから病気がち(p27)で神経症的だった(p22)。
父ニコライ(ザビーナが不調なころ)
おそらく写真のニコライと同年齢のころのユング
お父さんと似てませんか?
それは父親転移も起こるというもの
彼女は賢かったらこそ家庭内の危機を察知し、症状を出していたのでしょう。
両親は彼女の対応に追われることで夫婦の問題を棚上げできたのですから。
彼女の「犠牲」のもとで。
ザビーナの夢は錬金術師(p20)から医師へ(p36)。
しかし、妹と祖母をなくして家庭内(彼女の心も)バランスが崩れて神経症悪化。
当時のロシア富裕層はメンタルな問題解決に西ヨーロッパを頼った(第5-6章)。
そのためスイスのブルクヘルツリ病院へ(第7章)。
ここでの出来事はカロテヌートの著作と重なるので略。
ただユングの博士論文の件、時代的なことを差し引いてもいかがなものか。
匿名性担保を通り過ぎて、もはや改ざんレベル(p73-74)。
ザビーナの治療は、ユングにとって精神分析一例目だった(p2)。
とはいえ、あまりに乱暴。
耐えがたいイメージを無理に彼女に話させた(p87)。
3時間も分析を行った(p96)。
まま私が人柄的に嫌いなユング(ユンギアンの方、すいません)のことは後で。
1901年ごろのユング(ザビーナと関係があったころ)
確かに男前
調子が悪くなったころ(?)のザビーナ
確かに美人さん
話を戻して、ザビーナ、院内で学ぶ機会を得て、やがて治癒(私見では、ザビーナはユングの”分析”でなく、家庭から離れて彼女の知的レベルにあった学習機会を与えられて治癒したのだと思います)。
チューリッヒ大学に進学することに。
入院患者のまま入学許可をもらった!
ブロイラーが推薦状を書いています(p104)。
卒後、ドイツ語圏で活躍し、1920年代から革命で揺れるロシアへ(第21章ー)。
ソ連で精神分析を保護したのはトロツキーで(p294)、精神分析が国家権力と結びつくという奇怪な状況に(p299、316)。
やがてスターリンの粛清が始まる(ザビーナの兄弟も優秀で各領域で活躍していたが殺される p327-329)。
トロツキーと結びついていがた故に精神分析の位置づけも揺れた。
同時期にナチスが台頭し、ソ連でもポグロムが始まる。
当然、ザビーナにも危険が近づく。
ユダヤ人で、かつ粛清された人物が保護した学問の中心人物だったのですから。
そして1941年10月独ソ戦開戦。
ドイツ軍に捕らえられた彼女は、娘とともに行方不明に。
もしザビーナが愛人がいた不実な夫を追ってソ連に戻らなかったら。
メラニー・クライン以上の存在になっていたに違いないと思います。
思想は先駆的だし、フロイトに会っているので直系の弟子といってよい。
ザビーナの先駆性。
分析の逐語録をケース報告に記載した(p172)。
死を生に包みこんだ斬新な発想(p184-188、p211-212)。
児童分析、母子関係をいち早く論じた(p214 クライン、アンナより早い。論文「姑」は読みたい!)
言葉だけでなく(p263-264、312)、身体感覚にも注目(p314)。
先走った押し付けがましい解釈を退けた(p268)。
期間限定の分析治療を早くから実践(p312)。
フェレェンツィを参考にした(p312 理論家でなく生粋の臨床家だったのでしょう。藤山直樹「集中講義 精神分析下巻」参照)。
凄いと思うのは、精神分析に閉じこもらなかったこと(p234,259,271)。
理論的なことより、人助けをしたかった。
ピアジェとの関係も良好だった(p264-271 カロテヌートの主張とだいぶ違います)。
ぜひシュピールライン全集を読みたいです。
ユング。
ブロイラーをバカにしたり(p173)、その後もクライエントに手を出したり(p189)。
ナチス台頭後、辞任したクレッチマーから精神療法学会会長を堂々と引き継ぐ。
そして反ユダヤ丸出しの演説をする(p319-323、p75注25)。
ザビーナとの関係もカロテヌートの著作とだいぶニュアンスが違います(第2部)。
若きユングは、積極的だったザビーナに責任転嫁している印象がある。
そしてユングはザビーナとの関係をうやむやにしたけれど、ザビーナは違った。
後年、二人の関係をある劇評に託してきちんと言語化しています。
そこで、精神分析のもつ暴力性や限界を指摘している(p266-267)。
この指摘も当時としては先駆的だったと思います。
まま、本書第12章はまるまるユングの卑劣ぶりが描かれております。
おもしろかった点。
社会変動でヒステリー、強迫神経症が出現。
特にアメリカ合衆国とフランスに多いとされていたらしい(p420-443)。
フロイトがものごとを解決する際、現実的な手段で行う場合と、精神分析を用いる場合で分けていたこと(p202)。
それにしてもザビーナがユングと出会ったことは彼女にとって幸運だったのでしょうか。不幸だったのでしょうか。
激動の時代、学問を求めて生きた一人の女性の読み応えある伝記でした。
精神分析に関心がない方でも、20世紀初頭の女性がいかに学ぶことが困難だったかを知ることのできる貴重な記録です。
ザビーネ・リッヒェベッヒャー「ザビーナ・シュピールラインの悲劇 フロイトとユング、スターリンとヒトラーのはざまで」 田中ひかる訳
5000円+税
岩波書店
ISBN 978-4-00-023028-5
Richebaecher S: SABINA SPIELREIN. Doerlemann, Zuerich, 2005