スピリチュアル(アリティ)の定義:

 宗教と近いが、閉鎖された集団でなく、ある種の文化的で個人的な運動(p23)。

 したがって、主体的にオーダーメイドで消費できる(p24-25)。

 

 

 橋迫先生によると、妊娠・出産は、近年、疑似科学的で神秘的な色付けがなされるようになったという。

 背景には医学技術の進歩(p80)と脳科学ブーム(p86)がある。

 しかし、それだけではなく、日本社会がいまだに「仕事か出産か」「キャリアか母親か」の二者択一を女性に迫っているという事情もある。

 このような社会で女性たちが精神的安定を得ることは容易ではなく(p205)、自分の身体性との折り合いのつけ方がわからない女性が多い(p201)。

 したがって、妊娠・出産を特別視してストレス緩和を図っているのではないかというのが橋迫先生の仮説。 

 

 

 

 本書の3つのキーワード。

 子宮系、胎内記憶、自然なお産。

 

 

 子宮系(第二章):

 子宮をケアすれば健康や美を獲得できる、それが妊娠・出産にもいい影響を与えるという言説。

 これは2系統あり、子宮を使う妊娠・出産は女性としての使命と、女性性を肯定的に受け入れるよすがとして子宮を捉える。

 この言説の背景には、女性が自分をどのように位置付けすればいいのか混乱しており、ある役割を理想化することで安定を得ようとする心性があるのではないかと説明される。

 

 

 胎内記憶(第三章): 

 字義通り胎児時代の記憶のことで、子供たちの証言も例示される(p96)。

 さらに妊婦であることは神秘的世界と接続可能な特別な状態と説明されるという(p97-103)。

 また子供が証言する胎内記憶の内容が一様に「母親を無条件で肯定する内容」で構成されているのも特徴で(p107)、これは母親が免責されているのだ(p108)と橋迫先生は喝破なさっている。

  

 橋迫先生は「胎教をしないことで胎児に有害な可能性がある」という言説をとりあげ、優性思想につながる可能性を指摘されている(p91-93、109)。

 確かにそういう意味もあるかもしれないが、もっと素朴に、これも母親への免責ではないだろうか。

 産まれてきた子供に何か障害があったとしても、それは母親の責任ではない、胎教が足りなかったで説明されてしまう。

 この点は、合併症妊娠でなくても3%前後は児に何かしら障害が出る可能性があり、そのほとんどは原因不明で誰の責任でもないという知識を伝えることが大事だと思う。

 

 

 自然なお産(第四章):

 これは男性中心の医療からのアンチという側面があった。

 だから「自然」、つまり医学に頼らない(p114、120-121)。

 ただし海外と日本でニュアンスが異なる。

 海外では自然なお産はオルガスムスに結び付けられ「至高の体験」とされる(p119)。 

 一方、日本では「自然な」は「伝統的な」と同義になる(p128-139)。

 もう一つ、日本で独特なのは男を排除している点(p141)。

 ひたすら妊婦としての女性が神聖化される。

 

 

 第五章からはフェミニズムとの関係。

 

 

 第六章では、妊娠出産のスピリチュアル思想における、医療や男性排除が論じられている。

 スピリチュアルについて頭から否定はしないが、こと医療については、日本の産科医療が飛び抜けて安全な出産を実現していることは、忘れてはならないと思う。

 そもそも妊娠・出産は、本来、危険なものであり、日本の産科医の先生方の尽力によって、日本は世界でも飛び抜けて安全な出産が行われていることを意識してほしいと思う。

 

 日本の30歳代の一般女性死亡率は50人/10万人なのに、同世代の妊婦の死亡率は6.4人/10万人(2012年 産婦人科医学会公表)。

 ではアメリカは?

 2018年のデータでは妊婦の死亡率は14人/10万人。

 日本の2倍以上。

 いまだに命掛けで出産している国が多い。先進国であっても。

 

  

 

 これまで生と死の関係を、女性思想家たちが逆転して考える、つまり生があって死があるでなくて、死があって生があると論じる傾向があると紹介してきた。

 

 

 

 今までその理路がよく分からなかった。

 

 本書で、妊娠・出産が命がけなために、かつて、児が無事に生まれるまで母児ともに生と死の境界線にあると考えられてきたという箇所(p27)を読んで、ヒントをもらった気がするが、もう少し考えたい。

 

 

 

 

 

 

橋迫瑞穂「妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ」

860円+税

集英社新書

ISBN 978-4-08-721180-1