本屋で見つけてドキッとしたタイトル。
あの田中ひかるさんの著作。
手にとって帯をみて、さらに驚いた。
想像していた月経前症候群のことではなく、月経「時」に、しかも「犯罪が多い」というテーマ。
本書は、おおよそ明治時代から「月経時に犯罪を犯す女性が多い」という説が、犯罪学、犯罪心理学、司法で流通していたことを丁寧に紹介する体裁になっている。
それらの内容は「あまりな」学説や主張ばかりなので、ここには書かないことにする。
高橋さんは、時代的制約やある価値観の中での研究を、現在の視点で一方的に断罪するような単純かつアンフェアな議論をなさっていないので、本書は資料的な意味でも読む価値が十分にあると思う。
とはいえ、男としては非常に居心地の悪い本だった。
第一章。
神近市子、松井須磨子、与謝野晶子らの精神的不安定さを、月経と関係づけて論じられていた当時の論壇の紹介。
第二章。
ロンブローゾ、クラフト=エービングらにより、月経精神病概念が提唱された(p19-20)。
これは日本に輸入され、鈴木券太郎(教育者)、寺田精一(日本初の犯罪心理学者)らも主張(p55-60)。
1920年代に月経とメンタルの問題に関する議論が急速にひろまった(第三章)。
第四章は月経休暇について。
山川菊枝、中條百合子らが先頭にたって主張していたが、男の政治家もこの運動に加わっていた。
ただし、女性たちは男女同権を目指していたが、男たちは「月経中は仕事の効率が低下する」という理由で運動していた。
そのため、当時、発言力のあった男たちにとってこの運動は、女性の能力を低く見積もることの証しとして利用されていた可能性があった(p142-145)。
第五章から六章で月経と犯罪の結びつきがどのように論じられてきたかが本格的に検証される。
本書でやや残念な点。
女性性と精神的不安定さを結びつけ、そこに犯罪との関係を論じることが先行していたようで、さらに月経の問題が付け加わるという流れだったらしい。
女性のライフ・ステージの複雑さを考えると、女性性と月経の問題を分けるべきだったと思うのだが、本書では明確に分けておらず読んでいて少し混乱する。
メモ:
不浄扱いされていた月経が、日本ではそうでなくなった時期がある。
明治時代の富国強兵の時期。
「子どもをたくさん産む」ことは、兵士や労働者を多く生み出すことと同義だったから。
月経の血液の中に「ヒヨリン」「メノトキシン」という毒素があると考えられていた時期があった(p77-80)。
男はどこかで女性の生命性に恐怖感を抱いているのかもしれない。
ミソジニーとどこかで関係していないだろうか。
禁忌をタブーというが、この言葉の語源はポリネシア語の月経を意味するtabuまたはtapu(p152)。
月経を不浄扱いするのは、世界的にもかなりの地域で見られる。
最後に衝撃的だった点。
月経と暴力についての報告を、よりによって女性研究者や女性の司法関係者もしていた(p160-164)。
本書で多く登場するダルトン(Katharina Dalton)。
1953年に月経前症候群を提唱して、多くの女性を救った女性医師(p131-132)。
しかし、ダルトンも月経と犯罪との関係を論じていた(第七章)。
ただダルトンの論文を読むと、月経が犯罪と関係することを論じることが目的ではなく、月経前症候群の間に起こしてしまった犯罪は責任能力の問題が生じ、減刑すべきという主張だった(以下の論文 本書p171で言及あり)。
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0140673680922862?via%3Dihub
高橋さんの懸念は、月経前症候群と犯罪との関係を、ダルトンがいわば公認した形になったのではないかという点。
論文を読めばそういう主旨ではないことが分かるが、往々にして内容ではなくタイトルだけが広がることがある。
確かに2006年の総説(Steiner M et al. J Womens Health)の導入部分で「月経前緊張症が犯罪と関係していることが報告されている」と既成事実のように紹介されていた。
最近の論文がないかPubmedで検索をかけたが(2021年8月18日時点)、多数例の実証的論文は見つからなかった。
だとすると、残念ながら高橋さんの懸念に耳を傾けるべきということになる。
犯罪精神医学や犯罪心理学がご専門の先生方に、ぜひ実証的な研究結果を出していただきたいなと思う。
田中ひかる「月経と犯罪 ”生理”はどう語られてきたか」
2400円+税
平凡社
ISBN 978-4-582-82491-9