仕事で嫌なことが続いており、本を読む気力喪失中。

 忙しいのは苦にならないのですが、忙しいと「不愉快」は別です。

 

 

 さて、仕事関連で頑張って読んだ本書。

 しんどい状況で、この本を読み終わるのはしんどさ倍でした。

 とはいえ、本書でもいくつか発見が。

 

 そもそも「夜と霧」で有名なフランクル以外の精神科のお医者さんで、収容所生活を記録していた方がいたということが驚き。

 どのような理由か不明なのですが、1946年に一度出版された本書は本国でも長らく絶版で、2020年に再刊されたのだそうです。

 

 

 収容所生活。

 意外だったのが、ユダヤの方々と混じって収容されていたドイツ人政治犯や敗戦国民(ポーランドやソ連)の方々は、外からの荷物のやりとりがなんとかできていた(p72、132-133)。

 このために食べ物の闇取引があり、時には助け合うことも。

 だからこそ生き延びることができた方がいらしたのでしょうか。

 なるほどと思いました。

 

 私は学校で「見させられた」ことがある、連合軍によって解放された収容所の人々の悲惨な様子を写したフィルムがあります。

 本書で描かれた収容所の生活ぶりと、あのやつれ果てて今にも命を落としそうな収容所の方々の様子がなんだか結びつかない。

 もちろん、栄養失調になるような状況で病気になっても満足に治療を受けられない劣悪な環境だったのは描かれています。

 この違和感、何かと思っていたら本書後半で分かりました。

 

 比較的体力があり病気にもかかっていない主人公たち(=著者)は、SSが撤退し、放置された収容所から脱走していたのです。

 で、脱走する体力がなく、しかし撤退直前のSSたちが行った処刑を免れた人びとが収容所に取り残されていた。

 解放時のフィルムに映っていたのは、自ら逃げ出す力もないまま取り残され死線をさまよっていた方々だったのですね。

 これもなるほどと思いました。

 

 

 

 さて、アーレントが怒り、ヤスパースが戸惑ったドイツ人の責任問題。

 どうも、当時から収容所の噂は市民間であったらしい。以下の本で別施設についてですが、同様の指摘がありました。

 また連合国側からのラジオ放送が入る占領地域では、ナチスのユダヤの方々への悪行は、本書の舞台である1943年には分かっていたらしい(p22、30、224など)。

 

 

 

 ということは、この問題、ドイツ人だけであれこれ論じてはならないように思います。

 本書を読んでますますそう思いました。

 

 フランス北部はドイツ占領地域でした。

 で、フランス侵攻の際、ドイツ軍は北部からまわり込む誘導作戦を行い、通過するベルギー、オランダを1940年に占領していた(ベルギー人も収容されている p115)。

 

 この占領地域におけるユダヤ人問題です。

 当時のオランダ人やフランス人も、当然、ユダヤの方々の苦難を知っていたはず(p22、224)。

 フランスには対独協力者がいて終戦後に混乱したことはデュラスの小説にも描かれていましたが、オランダも同じだった。 

 オランダの混乱はポール・ヴァ―ホーベンが映画「ブラック・ブック」で描いていました。

 

 アーレントは当時のユダヤ評議会(というのがあったらしい)の責任を追及して同朋ユダヤの方々から相当叩かれた。

 でも、実は問題はヨーロッパ全域にわたるのかもしれない。

 

 

 

 忘れてはならないのが、ヒトラーは革命やクーデターで政権を取ったわけではないということです。

 選挙で連立与党から第一党に、そして大統領を篭絡して非常事態法を作り上げ、全権を掌握してしまった。

 もともと、選挙で選ばれていた。

 

 私たちがいかに選挙権を行使しても、得票数で勝ってしまえば、一時期流行った(まだ流行っている?)「民意が示された」ことになる。

 

 ルソーが面白いことを言っていてなるほどと思ったのですが、個別の意志と一般意志との過不足の総和が(本来の)一般意志だという考え方です(「社会契約論」光文社古典新訳文庫p64-65)。

 

 微妙に違うかもしれませんが、以下のような感じではと。

 100人の町で町長選が行われた。

 A町長に入れた方が90人いた。そこから入れたくない人の個別意志を差し引くと80で、これがこの町のいわば一般意志。

 ではA町長に60人の町民が投票した場合は。

 60-40で、この町のA町長を選択するという一般意志はわずか20に過ぎない。

 (この例、微妙に違う気もしますが、当方、専門ではないのでご容赦ください)

 

 何を申し上げたいかというと、この考え方だと単に「勝ったから、民意は俺を支持したー!」にはならないということです。

 支持しなかった人々のことを念頭に置かざるを得ない。

 

 これこそ民意の本来の算定の仕方ではないでしょうか。

 「民意、ミンイ」と勝ち誇ったようにおっしゃる政治家の皆様、ご高配ください。

 

 というか、投票率(≒サンプルサイズ)によっては得票数差が統計学的に誤差範囲になることだってあるのではないでしょうか。

 もう21世紀なのだし、AIも発達していることだし、妥当性を保証できるような選挙方法に変更できないのでしょうか。

 いつまで単純な「多数決」なのか。

 

  話が逸れていますが、これ、ドイツだから、あるいはナチスのやったことだから、もっと言えば日本にはナチスのような組織は無かったから(でも日本も選挙で選んだ代表が組閣し、その内閣が戦争を始めてしまったのですけど)などと、他人ごとで考えてはいけないと思うのです。

 

 まさに、<今>の、<私事>として、考えないと。

 

 

 

 で、ホントに話を戻して、もう一つ意外だったのが女性棟が同じ敷地内に区分けされずにあったこと。

 なので、女性と会うことが可能だったことです(かなり無理をしていですが)。

 主人公は新婚の奥さんと一緒にアウシュビッツに収容されてしまうのですが、ちょこちょこ言葉を交わしたり、手紙のやり取りをしています。

 もちろん、繰り返しますが、暴力による蹂躙やサディズムなどという生易しい言葉では片づけられないことが行われていた中での、生命の危険を賭してのかすかな接点に過ぎないのですが。


 

 

 最後に知らなったこと。

 

 「夜と霧」という表現は有名ですが、これはナッツヴァイラー収容所の別名だった(p145)。

 死刑が夜と<朝霧>の間の時間帯に行われていたことが由来だそうです。

 

 著者のデ・ウィンド先生は収容所によって生じた、今でいうPTSDを、生涯をかけて研究なさったのだそうです。

 これ、今まで日本の(というか世界でも)メンタルヘルス界隈で知られているのでしょうか。

 私は不勉強のためか、寡聞にして存じ上げません。

 

 で、ウィンド先生の疑問。

 あの状況で生き残れた人とそうでなかった人の差は?

 流行り言葉でいうレジリエンスです。

 

 当初、デ・ウィンド先生は「特異な順応性があったから」ともろにレジリエンス概念のようなことを主張されていた。 

 ところが、晩年に意見を変えたそうです。

 

 「ただ偶然や幸運が重なっただけ」だと(p271)。

 

 私はレジリエンスについて思うところがあるのですが、デ・ウィンド先生の御意見、私の考えを補強してくださっている気がします。

 

 

 

 極限状況で人はどうやって生きのび、何を望むのか。

 

 以前、読んだ本も、読みなおそうかと思います。

 

 あ、もう少し気持ちが落ち着いてから。

 

 

 

 

 

 

エディ・デ・ウィンド「アウシュビッツで君を想う」    塩﨑香織訳

2000円+税

早川書房

ISBN 978-4-15-210013-9

 

de Wind E: Eindstation Auschwitz.   1946, 2020