読んでいると気持ちが楽になるので愛読しているジェーン・スーさんのエッセイ。

 

 

 

 今回もまた教えと癒しを頂戴しました。

 ここ数日、仕事でしんどかったので、ちょうどよかったです。

 

 

 あ、副題の「いわれなき罪によって!無実の僕は13年間!檻の中に閉じ込められていたのであった!」は、私世代ならご存知のあの歌です。

 子供1にYoutubeで見せたら「ああ、お父さんが好きそうだね」と言われましたが、すぐに「あ、これ絶望先生だっけ、アニメの曲を歌っている人?」と気がつきました。

 さすが我が子。

 

 

 

 さて本書。

 第一章は、執筆当時40代半ばのスーさんにとって大事な財産。友達について。

 ここは私的には共感より、ただただ羨望。

 

 私は、知人女性から「女の友情はハムより薄い」という名言(迷言?)を伺い、へー、そんなもんかあと思っていました。

 しかし、わが妻が高校時代のお友達、約10名と今だに連絡しあっており、時たま会っていることに驚いたり、尊敬したり。

 私なんぞ、中学からの友人2人(この数年、まったく会っていない)と大学からの兄きぃの3人だけ。

 

 私の場合はハムどころか紙ですね。

 そう。これは男女の問題ではない、性格の問題です・・・。

 

 「女に生まれてよかった」(p52-54)では、ちょっとした学びが。

 スーさんによれば、女性の生き方とライフ・ステージごとの出来事が多様化し、もともとあった経験知の共有と交換の質が、近年、グレードアップしているのではという主旨の内容(もっと読みやすい文章です)。

 なるほどと思うと同時に羨ましい。

 なぜかというと、男は水平方向の経験知の共有が下手くそだから。

 というのも、すぐに優劣や上下が入り込んで垂直方向の関係性になるので。

 個人的には、嫉妬という漢字、男偏にした方がいいと思っております。

 

 

 第二章。

 男の私が面白かったのが「化粧と通勤電車」。

 わが妻は普段化粧をしないので(たぶん。していたら、すまん、妻よ)、たまにしていると驚くのですが(すまん その2)、p92の化粧の手順に驚きました。

 一大作業ではないですか。

 朝からこれは大変だ。

 あとお金がすっごいかかりますね、たぶん。

 

 しかし、最後の一文は不要です。

 「化粧は男性のカツラのようなもの」

 そのこころは。

 「一度やり始めると、公共の場で脱ぐタイミングを逸してしまう」

 

 私は中途半端な薄毛からいよいよ禿頭に踏み出したら(どこが境目??)スキンヘッドにしたいのですが、子供1に「絶対、やめて」と言われました。

 「えー、だって髪の毛無くなったら仕方ないじゃーん」

 「そしたら私の髪の毛をあげるよ」

 いやー、子供1よ。

 気持ちは嬉しいが、お父さんは毛ではなくて毛根が欲しいんだよねえ。

 

 次の「『ごめんなさい』とベビーカー」(p95-97)は大変に共感。

 赤ちゃんが泣いていたり、ベビーカーが電車内に入ると露骨に迷惑そうにしている人って、私もどうかなあと思います。

 

 もっとも、泣いている赤ちゃんをそのままに、ベビーカーを進行方向に垂直の方向に置いて、悠然とスマホいじりしている方にはカチンときますが。

 この置き方、ご本人はたぶん無意識なのでしょうが(余計、腹が立つ)、電車の加速減速でベビーカーが動かない=ベビーカーをつかまなくていい=両手が空く=スマホがいじれる、のですよね。

 でも、まず通路が物凄くふさがる。

 さらに赤ちゃんに対してお母さんの位置が真後ろなので(仮に向かい合わせでもスマホを見ているので)赤ちゃんとママは視線が合わず、正面に座っている怪しい私と視線が合って泣いちゃったりして・・・・・なんだよ、おじさんの顔はそんなに怖いのかよう、おじさんが泣きたいよう・・・・とちっとは考えろよと思ったりします。

 

 本書で一番興味深かったのが微妙な話題ですが「ムズムズまでの距離」(p116-119)。

 これ、居酒屋でゲラゲラ笑いながら話すような内容ですが、私的には真剣に考えたいテーマでした。

 詳しく書きませんが、私の意見は、共感性抜きの視覚性、(視覚に限らない)感覚性抜きの共感性という差異かなと思いました。

 まま、ぜひご購入を。

 これも男には分からなかった(というか、男の感覚がスーさんには分からないそうで。それはそうだ)。

 

 

 第三章。

 共感したのが「初々しい、男たちのダイエット」(p134ー136)と「ダイエットのモチベーション」(p145ー147)。

 この2つは対の内容。

 私は出張で1か月の内に2回、反対回りで海外に行くという無謀なことをした結果、しばし不眠と食思不振に苦しむことになり、一時、体重がかなり下がりました。

 あの時、初めて、食事を過剰に控えて痩せる病気の方の気持ちがなんとなく分かりました(そういうことではいけない)。

 私の常日頃低い自己評価が、少し上向いた気がしたので(そういうことではいけない)。

 

 ただ、悲しいかな、ある年齢以上になってからの痩せは、見かけ上、美よりも病に親和性があり、家族には「人間ドックに行け」とうるさく言われ、知人にはすごく真剣な表情で「どこか・・・あの・・・・大丈夫?」という大変に微妙な反応に見舞われる結果となりました。

 確かに当時の写真をみると「早く病院に行って胃の内視鏡か何か検査受けた方がいいよ」と、自分に言ってあげたいです。

 ただ、現在はスーさんの御指摘通りになっております(p145)。

 

 「再結成したバンドに思うこと」(p148-151)では「ガンズ」(ある年齢の方にはお分かりでしょう)のメンバーさんの話。

 これがへえーという内容。

 あるメンバーさん。スーさん的には、若い頃は一番垢ぬけなかった方が、今となっては格好よくなっていた。

 「五十歳を過ぎた大人の外見は、それまでの人生を雄弁に語る」 

 ・・・ああ。

 私の嘆きはどうでもいいのですが、その方、なんと皆さんご存知のXXXXXXXにXXし、現在はXXXでもある(お読みくださいませ)。

 読んでいて、のけぞりました。

 

 

 最後の章でしみじみとなったのがp222-224。

 タイトルは書きません。

 ああ、この感情の組み合わせ、忘れているなあと。

 しかし、「びっくりする」とこの感情が結びつくって、よく気がつかれたなあと、スーさんの感情への気づきと言語化能力の高さに惚れ惚れします(大げさか)。

 

 確かに自分もこういう風に言ってほしい時ってあるなあと思ったり。

 で、周りの方も同じなんだろうなあ、気を付けてみようと思ったり。

 どんな内容かは、本書をご購入くださいませ。

 

 

 以前のスーさんのご著書にあった「鋭い分析」より「なんかさあ、こういうことありますよねー」みたいな内容でした。

 

 

 

 そうですね。これで(も)、いいのだ。

 バカボンのパパみたいに、ちょっと言ってみたいのだ。

 

 

 

 

 

ジェーン・スー「これでもいいのだ」

1400円+税

中央公論新社

ISBN 978-4-12-005257-6