本日はあの事件の起こった日です。

 亡くなられた方々の、ご冥福をお祈りしたいと思います。

 

 先日、BSで映画「摩天楼はバラ色に」をやっていて、80年代な音楽とバロックな服装と髪型を堪能しつつ、遠景にちらりと映った世界貿易センタービルを見て、ドキッとしてしまいました。

 

 この映画、確か新宿で見ましたが、当時ものすごい数の女子高生の皆さんで映画館がすしづめ状態で、人生で最初で最後の「多くの女性に囲まれる」体験をしました。

 居心地悪かったなあ。

 てか、今、見るとかなりセクシャルな場面もあって(当時、ユーモラスな音楽と思った劇中歌も露骨に性的)、子供たちと見ていたら気まずくなりました。

 あの当時の女子高生の皆様におかれましては、あの程度の描写は平気だったのでしょうか。反応をまったく覚えていません(←女性に囲まれて、過度の緊張により解離していた模様)

 

 今回見て驚いたのは、主人公が関係をもった社長にして遠戚の叔父の奥様が、ベッドでコレットの「シェリ」を読んでいたことです。

 映画では悪者なのですが、あのシーンに気が付いて、なんだかちょっと切なくなりました。

 

 

 

 

 本書。

 主人公はとても美しい未亡人メアリイ。推定30歳。

 イタリアのフィレンツェ郊外の丘にある別荘にお住まい。

 当時(作品発表は1941年)の英伊関係がよくわからないのですが、調べるとちょうどイタリアが親英のギリシャに侵攻しています。

 この時期にイギリス人が無事にイタリアで過ごせたのか不明です。

 

 ちなみにこの余計な侵攻で、ドイツ軍は独ソ戦のために東部に集結させていた軍隊の一部を南転せざるを得なくなり、かつ以後のイタリアのいい加減な戦争に関わることになってしまったのは軍事マニアにはお馴染み。

 

 

 話を戻して、メアリイ。

 自分が美しいことを十分に自覚しており、「16のころから、みんなにきれいだ、きれいだといわれてきたので、もうそんなことでは大して興奮などしなくなりました」とさらりと言ってのける女傑(p37)。

 また美しさは女にとって「一種の財産」であると言い切る(p35)。

 つまり、<いつか使い切ってしまうかもしれない>ものでしかない。

 ある時には価値があるが、別の場面では価値のないものになるかもしれない。

 要は彼女にとって絶対的に価値あるものではない。<道具にはなる>けれども。

  

  

 そしてメアリイに言い寄る男性が二人(+一人)。

 一人はエドガー卿。

 かなり年上だけれども、インド総督になりそうな立派な男性(p15-20)

 もう一人はロウリイ。

 家柄はよいが素行はよくない、しかし独特な魅力のある風来坊のような男(p28-36)

 あと、カール・リヒターという、バッハでも演奏しそうな名前のウィーンから逃亡してきた若い男性もいます(p61)。

 

 リヒターに「オーストリアがまだあったころ」というセリフあるので(p61)、この話はナチスによるオーストリア併合後、1938年3月以後らしいことがわかります。

 リヒターは併合に反対して「6か月収容された」と言っており(p64)、この物語は6月に始まるので、もしかすると、舞台は1939年でまだギリシャとイタリアは戦争をしていないのかもしれません。

 

 

 で、リヒターをめぐっていろいろあります。

 

 物語は、メアリイが2人の男の誰を選ぶかで進む。

 それはともかく、男たちの対照的な描写が面白い。

 

 

 ロウリイ。

 メアリイが前夫の話をするシーン。

 まるまる2ページ、彼女が一方的に話している(私の仕事的には、典型的なアル中の妻といった印象の内容。しかし、彼女が己に美しさ以外の価値を見出そうとしたための悲劇と考えると、深みのあるエピソードのようにも思います)

 ロウリイはほとんど黙っているか、短く質問するだけ(p42-48)

 そして、しつこくせずに適当なところで身を引く。

 リヒターのことで相談する時。

 おそらくメアリイが長々と事情を話しているのを、じっと黙って聞いていたのだろうと推測されます(p128-129)

 そして一見、自分に都合のいい、しかし、よく考えるとメアリイが置かれている状況や彼女の性質を理解した上での助言をする(p132-133)

 そもそも彼は、事情的に可能な下品な強要を、メアリイに一切していない。

 あくまでメアリイが自ら「彼と共にいたい」と思うようになることを求めている。

 

 

 エドガー卿。

 久しぶりに帰ってくると、いきなり自慢話。

 忙しくて・・・・大事な素質をもっていると上司に言われて・・・・・生まれつきの才能が・・・・などなど(p136-137)

 この間のメアリイの台詞。

 「お聞きしたいわ」「その通りだと思いますわ」・・・・などなど。

 男にもてる女性の「さしすせそ」で有名な例の合いの手、そのまま。

 リヒターの件での相談。

 ロウリィと同じく黙って聞くのだけど、冷静なロウリイとちがって不機嫌になる(p140)

 しかし「すべてを理解し、赦してあげるくらいにあなたを愛している」(140)、立身出世もすべて捨てるという(! p141-146)

 

 ヘルメルさんとは大違いだ https://ameblo.jp/lecture12/entry-12622567409.html

 しかし、賢明なメアリイは見抜きます(ここがノーラと違うところ)。

 エドガーにとっては、メアリィのために”自分が犠牲になる”ことは、”自負心を高める”ことと同じなのだと(p146)

 男のとてつもなく強いナルシシズムhttps://ameblo.jp/lecture12/entry-12502563350.html?frm=themeの灯を維持するための助燃材になるのは、まっぴらごめんだと。

 

 最後のメアリイの台詞(p150)

 「人形の家」と本作で60年の時間差はありますが、ノーラさんもこれくらいのことを言ってほしかった。

 

 

 

 全体としてご都合主義的な筋だったり、リヒターの事情が曖昧になるなどの突っ込みどころはありますが、面白かったです。

 途中まではサスペンス。

 ラストは痛快。

 

 

 ちなみに邦訳のタイトルは、「リゴレット」に由来しているのだそうです(原題は「別荘まで」 解説p165)

 物語でもある重要なシーンで「La donna e mobile」が歌われる(p101)。 

 

 ロウリイに口説かれたシーンの後、メアリイは自宅に戻るために、両側に溝があって狭い道を運転しなくてはならない(p52)

 彼女がエドガーとロウリイのどちらの<溝>にはまりこむかのか、まさにこころが動いているmobileことを象徴しているようです。

  

 

 メアリイの気骨ぶりが痛快。

 そして二人の男の行動の違い。勉強になりました(もはや遅いが)。

 

 

 

 

 

 

サマセット・モーム「女ごころ」    龍口直太朗訳

350円+税

新潮文庫

ISBN 4-10-213006-3

 

 

Maugham WS: Up to the Villa    1941