かつて厳しい競争社会に生きる科学者さんに向かって「2位じゃだめなんでしょうか」とおっしゃった政治家さんがいました。

 その政治家さん、おそらく「女性初の総理大臣を目指していた(いる)」と思うのですが、では女性「初」がつくかつかないかで違いはないのですかと逆に尋ねてみたら、なんとお答えになるだろう・・・・・と、まあ、あまり品のよろしくない発想でしょうか。

 

 さて、女性初の医師は荻野吟子。

 晩年、急に作風がアレな感じになってしまったあの作家さんが「花埋み」という小説の題材になさっています。

 私も高校生くらいのころに読みました。

 救いのない終わり方だった記憶があるのですが、本書を読むと実際はどうも違ったようです(晩年は東京に戻って開業医をしていた p174-186)。

 

 

 さて本書はその「初の女医さん」ではなく、「三番目の女医さん」、高橋瑞の伝記(的小説?)です。

 もしかして資料があまりなかったのかなあという内容なのが、やや残念。

 というか、もしそうなら、そのこと自体が当時の女性医師の立場を物語っています。

 

 私は冒頭部分で引き込まれ、買いたい!と碌に立ち読・・・・もとい、確認もせずに購入してしまいました。

 何しろドイツ語もままならないのに、ほとんど着の身着のままで渡独するところから始まるのですから。

 なんと血沸き肉躍る展開!

 

 

 瑞は1852年生まれで、三河の武士の娘です。樋口一葉のちょうど20歳年上。

 この差は大きい。

 幕末から明治初期の混乱期にちょうど婚期を迎えている。

 この時期、元士族は生きていくことだけ精一杯だったのは知られているところです。

 没落した武家の四姉妹全員が、生活苦で娼妓になったという逸話もあったそうです(p14)。

 高橋家は長兄が幸運にも仕事を得たことで、なんとか生活ができた。

 当時は長兄の力は絶大だったはずですが、この件で、高橋家は、一層、長兄に頭があがらなくなったでしょう。

 末っ子の瑞は、姉たちが結婚していく中(姉の一人が、長じて「オギノ式」で有名になる荻野久作を養子にしています)、結婚するタイミングを逸し、兄嫁におさんどんとしていいように使われるようになってしまう(p15-20)。

 

 その後、教師をしている男と26歳の時に結婚。

 学ぶことが大好きだった瑞は、学問を教えてもらえるかもしれないと期待しながら嫁ぐ。

 しかし、求められていたのはやはりおさんどん役(p30)。

 彼女の家事能力は卓越していたらしいのですが、だからといって自分の時間はない(p31)。

 

 そんな中、あることで家を飛び出してしまう(p38)。

 

 さて、当時、女性が自立して生きていける仕事といえば、水商売以外ではお産婆さんしかなかった。

 あれ、看護師さんは?

 それは後ほど。

 

 

 で、この産婆。

 当時は迷信めいた方法もはびこり資格もなかったのですが、明治政府は産婆養成学校を作っていた(p51-53)。

 男女格差の大きい制度設計をした明治政府(p37)がなぜ?と思って読み進めると、なるほど。

 富国強兵のために乳幼児死亡率を下げたかったから(p52)。

 生政治、極まれりです。

 

 

 さて、学問に邁進する瑞。

 ここから別の人物や逸話にも焦点を当てられます。

 

 その点で面白かったこと。

 明治初期は、東京帝国大学を卒業すれば無試験で医師になれた(!p35)。

 さらに帝大出の教師が三人常勤している医学校は、やはり無試験で医師になれた(p35)。

 ちなみに明治20年以後は帝大に限らず官立医学校なら無試験、ただ私立は試験が必要だったそうです(坂井建夫:我が国の近代医学教育の源流 日本医学史誌57:109-112,2011)。

 坂井論文のグラフで面白いのが、明治27年(1894年)に私立医学校が急増することです。

 何が起きたのかを調べると・・・やっぱり、戦争。

 日清戦争ですね。

 

 ほかに。

 東京慈恵医大の設立に大山(山川)捨松が関わっていて、なんと皇后陛下から「慈恵」の名を賜った(p141)。由緒正しい名前なんですね。

 順天堂院の院長夫人佐藤志津の尽力で、女子美術学校(今の女子美)が存続した(p147)。

 明治33年に医学予備校が相次いで閉鎖された際、東京女子医学校(今の東京女子医大)が設立された(p153-154)。

 吟子さんは若い宣教師と結婚し、北海道で布教活動を始める。その地を「インマヌエル(=ヘブライ語で、神はわれらとともに)」と命名した(p178 カントさんの名前と同じ。イマヌエルだけど)。

 Googleマップさんによると長万部のちかく、北海道の首根っこのど真ん中あたり。

 町の名前がインマヌエルと関係してそうです。ちなみに町のHPに吟子さんの歌碑と教会が載っていましたhttps://static.hokkaido-ebooks.jp/actibook_data/e170317001/HTML5/pc.html#/page/8)。

 ちょっと行ってみたいです。

 

 

 

 あ、話を戻します。

 産婆としての経験を積む瑞。

 しかし、どうしても医師になって、女性に無事に子供を産ませたい。小さい子供を救いたい。

 明治16年には、内務省に「女性にも医師免許をとらせてほしい」となんと直談判に行ったりもする(p67-69)。

 ところが、翌年明治17年(1884年)に荻野吟子が女医第一号として合格(p77-78)。

 実は、法律上は女性に受験資格が「ない」とは書かれていなかった。

 ただ学ぶ場所がなかったのです(p68)。

 

 では、吟子さんや女医第二号の生澤久野さん、瑞たちはどうしたか。

 

 当時の女性なら、まずは女子師範学校(現・お茶の水大)に入る。

 ただし、女性の最高学府とはいえ、学問は適度にして嫁入り修行に入るのが<普通>だった。しかし、目的が明確な彼女たちは猛烈に勉強(p79-110 たぶん周りから浮きまくっていたでしょう)。

 

 卒後は、現場で学ばせてもらえる病院を必死で探し回り、ここというところを見つければ何度も頭を下げて許しを乞い、独学した。

 凄まじい勤勉ぶりです。

 

 

 ところで、看護師さんはいつ登場したのか?

 調べると、ナイチンゲールが教科書を書いたのが1860年。

 日本赤十字社が看護師育成を始めたのは明治19年(1886年)だそうですhttp://www.jrc.or.jp/activity/nurse/history/

 女医さん第一号誕生とほとんど変わらない(というか、もしかすると後?)というのは意外。

 

 

 さて、明治20年、瑞ははれて日本で三番目の女医さんに。

 翌年、日本橋で開業。今の八重洲一丁目だそうです(p148)。おお、東京駅の真ん前。

 例のはやり病がなければ記念碑か何かないか行ったのに・・・・残念。

 でも、今、あのあたり工事中ですね。

 

 ちなみに同時期に樋口一葉が作家になることを決意しています(明治23年前後 「にごりえ たけくらべ」解説)。

 

 

 その後の瑞。

 理由は書かれていないのですが、男性用羽織りを着て往診にかけまわり「日本橋名物、男装の女医」といわれていたそうです(p159)。

 男装の方が体が動きやすかったのか・・・?

 

 

 でも、どうしても勉強を続けたかった瑞さん、なんと「日本人初の私費ドイツ留学」をやってのけます。

 

 留学先での行動はちょっと無茶ですが、彼女をサポートする下宿先のドイツ人女性のエピソード、私は大好きです(p167)。

 で、教授の隣、学生たちに対面するような席で講義を受けることを許可される。

 多くの古いヨーロッパの大学は半円形の階段講堂なので、教卓の隣は学生に囲まれる重圧感で居心地が悪いはずです。

 ところが、瑞は違う。

 「先生の話を近くで聞ける特等席」と喜んだそうです(p170)。

 もう日本中の大学生に聞かせたい。

 

 

 帰国後、多くの後進を育て、医師としての一生を全う。

 教え子に山口県で最初の女医さん(中原トマ)などがいます(p203-206)。

 

 

 

 ところで明治20年ごろ、「女医亡国論」が医学雑誌に掲載されて議論になったそうです(p192)。

 論点は、妊娠出産中の仕事をどうするのか、身体的に医業に適正があるのか、男女一緒だと性的放縦が生じる、の三点(p192)。

 てか三点目は、え、じゃあ、シーボルトの娘で実質女医第一号の楠本イネがひどい目にあったのは、誰が悪いんだっけ?という、あまりにもな内容なので論外ですが、一点目や二点目はこの150年間、執拗に同じことが言われ続けていたのですね(最近の入試事件を考えると、まだ現在進行形?)。

 

 

 以下、吟子さんの反論。

 「長袖安居して、患者の気息を窺う如きは、堂々たる日本男児の、深く恥じるところ」

 そして「日本男児の腕試しは、万国至るところその戦場」である。

 だから銃後はお任せいただき、「男子は宜しく去って、雄壮偉大なる皇国人の希望を満たすに足る大目的に着手せよ」(p195)

 

 皮肉が効いている上に小気味いい。

 もちろん敢えての建前論で、これ当時の男は反論できなかったんじゃないかなあ。

 

 私的には、<力づくで(=ご自慢の筋力と体力で)><戦争している(=人を殺傷)>している男たちが<人命を救う医業>についてあれこれ言う資格があるの?ええ? どうなの、あんたら?という梶芽衣子的な勢いをも感じます(・・・ちと怖い・・・・)。

 

   

 

 本書、2点だけ残念。

 繰り返しますが、もう少し内容を濃くしてほしかった。

 あと、上記との兼ね合いか狙いなのか分からないのですが、女医群像劇になることがあり、若干、焦点がぼやける点でしょうか。

 

 でも、歴史に埋もれた興味深い人物を見出し、紹介していただいたこと自体が貴重な素晴らしいお仕事だと思います。

 

 

 そう。

 例の政治家さん、1番じゃないとダメなんですよ。

 3番目が日の目を見るのに、150年もかかる。

 

 でもですね、科学のように競争に勝つことではなく、名誉でもない、自分の好きなように生きたいということであれば、1番でなくてもいいのかもしれません。瑞のように。

 で、件の政治家さんは、どのようにお考えなのでしょうね。

 

 

 

 

 

田中ひかる「明治を生きた男装の女医 高橋瑞物語」

1800円+税

中央公論新社

ISBN 978-4-12-005320-7