「いまさら」の樋口一葉。
最初、文語体で読み辛いと思っていたのですが、音読すると意外にわかりやすい。
黙読で読み通して、なんとなく分かるけど細部がはっきりせず、隣にいた妻に向かって音読したら、普段、あまり読書をしない妻がするすると理解し、私も同時に理解。
時々、こういうことだよね?と妻に尋ね、「え?そうでしょ?」と夫婦で確認しながらの読書という不思議な体験をしました。
様々な事情でがんじがらめになっている中での不幸と悲哀の話で、身も蓋もなくまとめると「耐える」「諦める」話です。
同じテーマを繰り返し書いているようにみえますが、状況設定や人物の組み合わせがうまい。
「十三夜」は、身分違いのある男性に見染められて嫁入りしたものの、子供が生まれてから夫がモラハラし放題になるという設定ですが、「子供が生まれてから」というタイミングがリアル。
「子はかすがい」にならない夫婦がいることを、一葉さんはよく観察していたのでしょう。
ちょうど逆の設定の物語が「この子」。
面白いことに、文語体の言文一致(? 一人称での語り)です。
この特殊な文体のため、当時の読者がどう感じたかはわかりませんが、私は読後にある種の不気味さを感じました。
「本当にそう思っている?」というような。
描写がある意味行き届かない文語体と一人称が組み合わさると、「信用できない語り手」問題のようになるのですね、少なくとも現代の私は。
とても面白かったのですが、この感想は「この子」の前に収載されている「われから」の読後感の影響もあるかもしれません。
「われから」は全体で約40頁(p91-133)と、この短編集でもっとも長い作品ですが、これが一番面白かったです。
上流階級の話ですが、親子二代にわたるどろどろした話で、文語体の情報圧縮効果(?)もあって、ちょっとした長編を読んだ気持ちになります。
解説では「淫蕩な血」が云々と書かれているのですが(p177)、私はそれだけではない、むしろ、そうではないのではないかと思います。
この母娘には共通点があって、一つは「夫の望んだ子を産んでいない」(p110、p128)、もう一つが「血の道が悪い=体とメンタルが不調」(p111、p124-125)です。
主人公(娘)の方はラスト直前に様子がおかしくなるし、自分が夫から捨てられるのではないかという不安があると夫に話している(p119)。
そこにある話が(十一節)。
主人公はさぞ衝撃を受けたことでしょう。
「われから」だけは耐える話になっていないようで(ちなみに解説では「上流階級の退廃を描いた観念小説として読むべき」とありますp177)、それだけではないのではないかと。
明治初期の女性は、中流階級(母は役人の妻)だろうが上流階級(娘である主人公は政界の大物の妻)だろうが、わかりにくい居心地の悪さや苦しみを背負わされ、それに対して本人たちなりの抵抗をすると、それが<淫蕩>だとか<退廃>とされてしまう二重の苦役を担わされていたのではないか。
隠れた名作ではないかと思います。
他にも精神的に病んだ女性の話(ある悲しい出来事をきっかけに発病したことが暗示される)、一人住まいの女性と体に不自由さがあり身寄りのない男の子(でいいのか?16歳という設定)の悲哀に満ちた関係、実家の借金のために奉公先のお金に手を出してしまい・・・・など、さまざま。
ところで、「乙女の日本史 文学編」で、樋口一葉は一筋縄ではいかない女性とされています(p209-216)。そうなのか・・・。
あと一葉は漱石のお兄さんと縁談話があったのだそう(p216)。
実現していたら明治の文学史が大きくかわっていたかもしれない。
残念。
この「乙女の・・」を引用している辛酸なめ子さんの「世界恋愛文学全集」。
同書で「十三夜」が紹介されています(p26-31)。
感嘆したのが、辛酸なめ子さんは伝記的事実ではなく、作品から一葉のしたたかさを感じとっていること(p30-31)。
救いのない物語だと思っていたのですが(被害者が加害者でもある残酷さ)、辛酸なめ子さんの読みはもう一歩、踏み込んでおりました。
さすがだなあ、なめ子さん。
辛酸なめこ「辛酸なめ子の世界恋愛文学全集」
1500円+税
祥伝社
ISBN 978-4-396-63497-1
堀江宏樹、滝乃みわこ「乙女の日本史 文学編」
560円+税
角川文庫
ISBN 978-4-04-103765-0
樋口一葉「大つごもり 十三夜 他五編」
500円+税
岩波文庫
ISBN 4-00-310252-5