本屋巡回で見つけて、昔、読んだけど新訳か・・・と購入。
帯の文句では、あまり食指が動かなかったのですが、「みずうみ」以外は未読だったし、解説を立ち読みしてシュトルムがドイツ北部出身と知り、同じドイツ北部出身のヤスパースを愛する私としては、作品を通して「気質」を知りたいというのもありました。
本書については、解説で松永先生がお書きになっていたことと同じ経験があります。
「高校生のころ読んで、『なんでこうなるの?』と、疑問ばかりが残った」(p230)
私も高校生のころに買って読みました。
通学の乗り換え駅の駅前に屋台のような古本屋があり、そこで岩波版を買いました。
ただ、内容を間違えて記憶しており(「ウンディーネ」の内容と間違えて覚えておりました・・・)、今回、読んで「あれ、こんな内容だったけか?」でした。
と同時に、確かにこれは若いと全然わからん・・・というか、中年かつ非モテな男(私のことです)、あるいは言い過ぎかもしれないけど、思春期前後の女の子が喜ぶ作品かなと。
実際、内容、全然覚えてなかったし。
一言、「切ない」。
とはいえ、私のひねくれた心には「甘ったるすぎる」。
しかし、どこかで、しんみりしている。
でも、そのことをやっぱり認めたくない自分もいたり。
ああ、面倒。
ホントは演歌が好きだけど、絶対認めたくないみたいな感じでしょうか(ホントに演歌好きでないけど)。
「素直に面白いと言えない」点を、登場人物名の説明なしで。
まず、事情がわからないくらい素朴で単純なのか、あるいは「勝った」(?)と自慢したいのか、それともエリザベートの本当の気持ちに無関心なのか、理解できないのか、とにかく事情は分かりませんが、いずれにせよエーリッヒの無神経としかいえない態度(なぜにエリザベートに一言もいわずにラインハルトを呼ぶ?)にイラっとします。
それに加えて、その招待に応じるラインハルトもラインハルトです。
あと、こういう場合、エリザベートは怒り出すと思うし、そうなると思っていたら、喜んで応対していることになっています。
読み終わって、よくよく考えると、エリザベート、本当にかわいそう。
シュトルムは、エリザベートが「妹のように」エーリッヒを見つめるとか(p50)、エリザベート、こんなに物静かだったかなとラインハルトが一瞬、疑問に思う(p51)など、彼女の生活が満足なものではないことをさらっと示唆するのですが、後半からこの「さらり」が「露骨」になってしまい、スピード・ワゴンの漫才のようになってしまいます(「あまーい」・・・てか懐かしい・・・)。
他に収載された「人形使いのポーレ」も私的には・・・ですが、「三色すみれ」は途中まで面白かったです。
継母と継子(娘!)の葛藤がテーマ。ラストのあたりが残念だけど。
出来事はほとんどないのでシュトルムは「繊細なこころの動き」を描いてみせる。
なので、葛藤する二人のさまは読んでいて引き込まれます。
しかし、これも読後によくよく考えると、夫(お父さん)、おめえは何かしないのか?という感じなのと、継母さんが繊細過ぎで、やっぱり「男のナイーブなドリーム」だなという気がします。
ところで岩波版と読み比べたら、同時収載の小説がまったく違うことに驚きました。
岩波版は「マルテと彼女の時計」「広間にて」「林檎の熟する時」「遅咲きの薔薇」です。
「遅咲きの薔薇」、ちょっと勘弁して・・・・恥ずかしい・・・という小説。
もちろん感動した小説もあります。
「広間にて」と「マルテと彼女の時計」。
「マルテ・・」は「大きな古時計」な内容(ホントにまんま)。
北方ドイツ人といえば、ああ、これこれという感じで、私はこれを読んで「ドイツ人」のイメージができたのかもしれません。
未婚のマルテ嬢、「道徳」「倹約」「まじめ」で多くの時間を「沈思」してすごし(p75)、「市民階級として恥ずかしくない教養」をもっている(p76)。
そして、多くの人々の世話をして家の仕事をしっかりとこなすことに満足し、「長い冬」(p77)を「ひとりで過ごして」家具を修繕したり、少し作り直したりする。
そういう彼女のなんでもない時間と、両親とともに過ごした幸せな時間が混然としたように描かれる。
本当に「何も起きない」小説ですが、私はなぜか感動しました。
似たものを読んだ気がすると思って、確かこれとフローベールの「三つの物語」をぱらぱらめくったら、「素朴なひと」が確かに似た境遇の女性の話なのですが、これも記憶違いでした(最近、読んだのに!)。
まったく真逆な波乱万丈な人生。
でもフェリシテ嬢も、マルテ嬢と同じく淡々と物事をこなしていく。
「何も派手なことは起きない」けど「真面目に誠実に生きる」のと、「波乱万丈」だけど「出来事を素直に受け入れていく」ことが、似た印象を与える、「逞しさ」を感じさせるのですね。
発見でした。
「広間にて」も一行で書ける筋で、一族のばあばが、新たな子の出生に立ち会い、一族の連綿とした歴史を語る、ですが、私は若いときから「一族の歴史を誇りをもって語る」になぜか涙腺が反応する性質で、大学生時代に読んだラフカディオ・ハーンの随筆でもっとも感動したのもそのような内容でしたhttps://ameblo.jp/lecture12/entry-12494273916.html?frm=theme。
しかし、同じ1850年代で、隣の国では野心家の兵隊さんとお坊さんが反目しあったり、情緒不安定な奥さんが不倫して大変なことになったり、酒で身を持ち崩す人ばっかり(言い過ぎ)だったりで大変なのに、まったく別世界のようです。
ただ、ドイツでもこの時期の文学はBildungsromanが主流の時代だったようなので(竹治進:1850年代の3つのドイツ教養文学 立命館法学別冊 2013. PDFで読めます)、シュトルムのこの文学世界は異質かもしれないです。
真面目に感想を書けば、何とも言えない透明感はやっぱり美しいし、甘ささえ排除できれば、松永先生の解説通り家族の絆を描いている点で(岩波版の関先生は「真の愛を描いている」とお書きになっています。少なくとも私が読んだ範囲の数編のシュトルム作品については、松永先生説に分があると思います)、素晴らしい作品群だと思いました。
松永先生がドイツ北部を訪れたところ、遠浅の海だったそうです。
おそらく波が穏やかな静かな海なのでしょう。
ヤスパースもドイツ北部で海を眺めて育ったそうで、彼の包括者概念は海に関連しているとどなたかが書いていました。
穏やかな海。
長い厳冬。長い夜。
必然的に家族で過ごす時間が長くなります。
物静かで内省的になるのも無理もないです。
そういえば、プラトニックな関係を続けたブラームスもドイツ北部出身です。
シュトルムの小説では南部訛りの登場人物はやや大胆に描かれています。
南部は北部に比べ、楽観的、享楽的なイメージのようです。
甘美さがなあ・・・・
私はちょっと苦手でした。
シュトルム「みずうみ/三色すみれ/人形使いのポーレ」 松永美穂訳
840円+税 248ページ
光文社
ISBN 978-4-334-75424-2
シュトルム「みずうみ 他四篇」 関泰祐訳
? 142ページ
岩波書店
?
Storm T: Immensee 1853