レンタル屋をぶらぶらして、面白い映画がねえなあ・・と、普段見ないテレビドラマコーナーに行ったら、おおお!!!

 

 「チェルノブイリ」がもうレンタル開始になっている!!

 しかも話題作なのに、全3巻、借りれる!(たいてい、人気の新作は真ん中だけ抜けているとか、あるあるです)

 

 感想。

 

 ぐったり・・・・・・(いい意味で。うん?悪い意味で?)

 ドラマの「出来」で、ぐったりではないです。 

 あまりにしっかりと描きこんでいるドラマなので、過集中状態になってしまって疲れた・・・という意味です。

 

 でも、これ必見です。

 まず脚本がいい、演出もいい、美術最高、キャストの顔つき(顔ぶれではない)もいい。

 ホントに良質のドラマ。

 

 

 一定以上の年齢の方はご存知の、史上最悪の原発事故。

 隣でチラ見していた子供たち、「これ?本当の話?」「福島の話と同じ?」と質問の嵐が。

 とりわけ急性放射線障害で、あっという間に全身状態が悪化する様をかなりリアルに描写していたので、子供たちも茫然としていました。

 実は、「Fukushima 50」https://ameblo.jp/lecture12/entry-12582535727.htmlを見た後、子供たちから「放射線を浴びるとどうなるのか」と質問されていたので、東海村の事故の論文を見せようかと思っていたのですが、迷った挙句に、やめていました。

 ・・・・のですが、あの写真よりも(変な表現ですが)リアリティーがあるシーンが・・・・・。

 結局、見せちゃったのと同じです。

 

 

 刻々と変化する状況。

 ウェットに描かず、淡々と静かに、劇伴も不気味な低音だけで、ドキュメンタリーのような雰囲気。

 でも、その方が胸にずしんと来ます。

 特に爆発後、青いチェレンコフ光がまっすぐに夜空に延び、それを「きれいだね」と町の人々が見ているシーン、とても胸が痛みました(そのあと、フォールアウトが舞い始め、子供たちが喜んでいるシーンでは、不覚にも泣いてしまいました)。


 

 現場に急行した科学者さんと政治責任者。

 すでに大量の被曝をしているわけで、政治家さんだけ、そのことを理解していない。

 わかっている科学者さんが、ちょっとした会話の中で、自分たちの運命をさらっと言う。

 愕然とする政治家。

 見ている方も、そうだろうなあと思っていても、科学者さんの冷静さ(というか、現場に行く前からすでに分かっていたはずなので、冷静さというより諦念ですね)が、かえって辛い。

 

 

 このドラマ、とにかく説明がわかりやすい。

 「毎時何とかシーベルトで、放射線計の針が振り切れています!」とかの、この手の映画やドラマにありがちな、わかるようなわからない台詞(も、このドラマでも一応、ありますが)でなくて、「1時間に広島型原爆が2つ爆発しているのと同じ放射線量が出ている」という感覚的に(科学的に「だけ」でなく)すっごいわかりやすいセリフで、くだらないホラー映画なんかよりも、よっぽどぞっとします。

 だって、そう言い放った科学者さんが、「そこに」立っているのですから。

 

 事故がどうして起きたのかの説明、最終話で出てきますが、これも非常にわかりやすい。

 私は初めて原発の基本的なメカニズムを教えてもらった気がします。

 

 

 そして、科学者さんが、事故の原因を話す場で、原発の基本原理を説明する時、一瞬、さらっと口にする台詞。

 「非常に美しい」。

 

 これ、科学に携わる者がもつ、ある意味、悲しい性ですね(事故の説明の前に口にしてしまうんですからね)。

 でも、こういうところをしっかりと描き、伝える。そして、声高に批判もしない。

 本当に、いい脚本だと思います。

 

 

 このドラマは、単純に「原発反対」を主張するものではない(と思います。もちろん「推進」でもないですけど。ちなみに「Fukushima 50」は、この辺もウェットでした。エンディングロールの写真・・・・)。

 そういうことは政治マターですから。

 起きた出来事を、とにかく正確に描写することに徹する。

 実際に起きた出来事を描く映画やドラマは、それでいいのだと思います。

 判断は私たち、観客がすればいい。

 

 

 で、話を戻しますが、科学者からすれば、核分裂と、制御棒、黒鉛や水などの減速材で、絶妙なバランスと調和を保って電力を作り出すシステムは、端的に「美しい」のですね。

 これ、倫理的に良いとか悪いとか、そういう感覚だから科学者はけしからんとか、そういう問題に落とし込むべきではないと思います(現に、そう言っている科学者さんが被曝しながら事故収束に奔走したんですし)。

 

 科学者のもつ美的感覚って、科学が進歩していくうえで重要な感情です(プラトン・ソクラテスがいうところの「哲学は驚きから始まる」のと同質のことを言ってると思うのです)。 

 

 大変な事故が起き、自分も被曝し、その後の身の安全も怪しい(この辺はドラマをご覧ください)状況の原子力専門の科学者が、それでもこう言ってしまう。

 根っからの科学者で、原子物理学を「愛している」のでしょう。

 

 

 またゴルバチョフに現場責任者に任命された政治家さんもいい。

 最初は、なんとなくいやいや。

 でもだんだん、科学者さんより熱意をもって事態収束に取り組み始める。

 米ソ関係から、あるものが手に入らなかった時の怒りよう!! 

 党原理主義者みたいな人がいたら、まずいことまで口にしてしまう。

 

 最終話のあるシーンでの二人の会話も、ある意味「美しかった」です。

 場面には、むさくるしいおじさん二人(とある生き物)しか映ってないですけど。

 

 

 さて、なぜ事故が起きたかは最終話で明かされますのでご覧いただくとして、第一話の事故が起きるシーン。

 事故が起きるいきさつなどは詳しく書きません。

 ただ一言だけ。

 

 無責任さというのは、想像力の欠落なのだなと。

 いろんな意味で、です。

 

 出来事の進展への想像力。

 他者の心情への想像力。

 自身の気持ちの変化や、自分の将来のありようへの想像力。

 

 

 そにしても、これ先に見ていたら、「Fukushima 50」は、私的にはちょっとダメだったかも。

 順番が逆でよかった・・・・

 

 

 翻って、日本。

 福島の汚染土壌処理問題。

 どうなるんでしょうね。

 育休も大事だけど、そういう個人的なことでないところで政治家は頑張ってほしいな。

 このドラマの政治家さんみたいに。

 

 

 

 

 

ヨハン・レンク監督「チェルノブイリ」     原題 Chernobyl    2019年 (テレビシリーズ 全5話)