冒頭を読むと、本書の梗概を講演したところ「聞いていた精神分析家たちは激しく反撥」したという。
「ラカンを理解していない」「ラカンはすでに語っている」(p10)
それだけでも興味を惹かれる本。
マラブーの仮説:
心理的傷つきは性事象性sexualite、脳の傷つきは脳事象性cerebraliteと、別建ての概念が必要(p21-25)。
なぜなら「新たなる傷つきし者」、つまり「脳疾患や脳損傷」は「(略)重さに違いがあっても、その振る舞いが(略)永続的にあるいは一時的に、無関心、無反応になる」(p33)から。
→ つまりアパシ―について論じたい
本書の対象:
「頭部の外傷、腫瘍、脳炎、髄膜脳炎」
「パーキンソン病やアルツハイマー病」
「多動性障害、統合失調症、自閉症、てんかん、トゥレット症候群」(p33)
→ 外因、内因、発達の問題を全て同一に論じるのは、臨床的に大変に疑問
マラブーの提示する症状に関する仮説:
「損傷器官へのナルシス的自閉」か「脳が有する<死の欲動>」(p163)
精神障害で起きる「自我変容」と、事故や外傷による性格の変容が同じ(本書では「相当する」)(p268)。
レジリエンス批判:
レジリエンスは「もとの形式、痕跡」の「解消ではない」(p 275)
レジリエンスは「復元性」で「再構成、補償、埋め合わせ」(p276)
第十章以後の結論:
死の欲動の現象として反復があるが、「エネルギーの拘束」である以上、「エネルギーを鎮静化する」(p292)
フロイトにとってエントロピー=0が快なのだから、反復=死の欲動は「快に似る」ことであり「快原則の彼岸はない」(p294)ばかりか、反復は「快原則に支配されたまま」である(p310)。
「快原則の彼岸」はまだ「実在していない」(p311)
退行、抑圧解除、転移、真理などと無縁な精神分析があるのではないか(p317-318)。
他者の場所をしめることではない、他者と場所を一致すること、調和させることではないか(p319)。
読後感想
本書は、マラブーの親族がアルツハイマー病でアパシー状態になり、それに対する心理的ケアがあまり行われなかったらしいことから、思考が出発したという。
こういう実感から始まる議論は空理空論にならないことが多いので好きなのだが、マラブーの議論は神経学と精神分析に関する誤解としかいえない議論があり、結果として空理空論に近づいていると思う。残念。
死の欲動はフロイト自身が「メタ」心理学といっているくらいであり、それを実体化するのはあまりに乱暴。
ナルシシズムもこころという機能の次元で、それを物質としての脳と結びつけるのもカテゴリー・ミステイクだと思う。
「損傷部へのリビドー備給」という考え方も現象と物質を混同しているので、たとえるなら「エンジンの出力をすべてエンジンの損傷部にあてる」というおよそ不可能なことを述べている。
レジリエンス批判は途中までその通りだと思うが、なぜか復元という素朴な議論に戻っている。
現在は「割れた花瓶」仮説が主流で(スティーブン・ジョゼフ「トラウマ後の成長と回復」筑摩書房)、マラブーがレジリエンス概念に欠けているとした「再組織化」(p276)は「割れた花瓶」仮説の重要なポイントである。
さらに「治療」について転移や同一化などを使わずという箇所で述べられていることは、普通の言葉にすれば「傍らにいること」「関心を向け続けること」だろう。
それは、普通の医療、リハビリなどで行われていることで、却って精神分析などを持ち出すと、そのようなことは行われていないことになるだろう。
本書でのマラブ―の慧眼は、快原則の彼岸に死の欲動を見るのではなく、あるいは死の欲動も快原則の一部に取り込まれるとし、「快に見放された」脳損傷によるアパシーこそ快原則の彼岸だと考えている点かもしれない(p 295)。
しかし、脳損傷とメタ心理学を並べて論じるという力技は、私には咀嚼しきれていない部分があるので宿題。
以下、全く個人的な<妄想>。
本書の理論構築は、マラブーがアパシーを呈した自身の親族に対する自分の無力感に耐えられず、精神分析に理論的欠落部分がありケアができないのだと考えたことに端を発しているのではないだろうか。
しかし、そもそも精神分析は脳損傷による精神疾患を対象にしていない。
フロイトがそのように論文で書いている。
だから、精神分析に脳損傷のアパシーに関する理論もケア技法がないのも当然なのだが。
とはいえ、現代思想においては重要な一冊のようであり、レファレンスとして取り上げられ続けられるのだろう。
カトリーヌ・マラブー「新たなる傷つきし者 フロイトから神経学へ 現代の心的外傷を考える」 平野徹訳
河出書房新社 366ページ
3400円+税
ISBN 978-4-309-24767-0
Catherine Malabou: Les Nouveaux Blesses: De Freud a la neurologie, penser les traumatismes contemporains.
Bayard ,Paris, 2007