気になるなあ、でも分厚いしなあ、積読になるかなあ、変な恋愛要素とかあったら嫌だしなあ。

 ・・・というのが、読む前の最初の印象。

 しかし、私が尊敬する友人が「読んだら、実際にピアノ・コンクールを見に行きたくなって、静岡に行っちゃった」と言っていたので、彼がそこまで言うのなら、これは間違いないと読み始めた。

 

 最初、ありゃ、一行ごとで改行って、これはちょっと・・・と思っていたが、あっという間になぜか引き込まれる。

 朝起きてから仕事に行くまでの2時間くらいで、あまりに面白くて上巻の半分くらいまで読み進み、駄目だ、手離せない、これでは仕事にならない、というか仕事に行けないと、泣く泣く本書を自宅に置き、そわそわして帰宅。

 その日の夜には読了してしまった。とういうか今日です。読み終わったの。

 

 さて、本書。

 どこまででネタバレなのか。

 ピアノ・コンクールの話なので順位がネタバレという方は、以下読んでいただいても結構です。

 てか、読んでいる最中から順位はどうでもよくなる。

 てか、順位いらないという気持になる。

 てか、順位書かないでと。

 

 最後のページにさらりと順位が書かれているが、それを見ても、私は「へー」という感じだったし、作者さんにしてもそこは問題ではないだろうし。

 

 

 でも、やっぱりネタバレになると思うから、未読の方はお控えくださいまし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 登場人物は四人だが、実質三人。

 天才少女としてデビュー。しかし、突如引退した女性(仮称:元天才)。

 音楽を志したが、流れでサラリーマンになっている男性(仮称:仕事人)。

 才能とスター性を生来的にもった男性(仮称:スター)。

 

 一人は超人過ぎて、ちょっと漫画っぽいけど、その際立った異能ぶりはクラシック音楽界では現実にいそう。

 何かで読んだことがあるのは、ある交響曲の練習で、楽団員がいたずらでスケールを少しずらして演奏したら、それを指摘した指揮者がいたとか・・・。

 ただ、この本の天才くんは、あまりに「ピュア」な言動でちょっと現実離れしすぎではある。

 本書は、その「空」のような異能の一人を中心に、三人が(正確には審査員もだから、あと二人も?)変化していく。その様を描いている。

 

 この作品。二人が対になっているのが面白い。

 音楽性が似ている天才くんと元天才さん。

 音楽への構えが似ているスターくんと元天才さん。

 音楽に対する真剣さが似ている仕事人と元天才さん。

 才能の際立ちが似ているスターくんと天才くん。

 音楽の愛好の仕方が似ている仕事人と元天才さん。

 

 で、この対ごとに、色々な楽しみ方ができる。

 クラシック音楽を聴くことがお好きな方は、愛好ぶりに共感してもいい。

 クラシック音楽内幕などを知るのがお好きな方は、構えの描写に付随するエピソードは面白いのではないか。

 クラシック音楽天才逸話好きな方は、才能の際立ちのエピソードで心躍る興奮を感じるはず。

 

 私は、<真剣さ>のところで楽しんだ。

 元天才さんも、仕事人も、「誰かに聞かせたくて」ピアノを弾いていた。お母さん。おばあちゃん。適切な批評家にして支持者。

 二人とも、その「誰か」がいなくなるとともに、自分がなぜ弾いているのか分からなくなる。

 一人は無自覚に、もう一人はどこかで自覚しながら、「音楽家になる」という選択、決断から回避している。

 何かすることを決めるということは、何かしないことを決めることでもある。

 あるいは、何かをすると決めれば、その何かに失敗すれば大きく傷つく。とりわけ、それが「自分が生きる糧」の場合は、徹底的に。もう立ち上がれないくらい。

 しかし、その何か遠巻きにして「何かはいつでもできる。でもそれをすることを決めない」ようにすれば、大きく傷つかずに済む。

 だから、元天才さんはこれ以上傷つかないように、仕事人くんはあらかじめ傷つかないように、音楽から離れた。

 

 しかし、元天才さんに、天才くんは、音楽は誰かに聞かせるものなの?鳥はひとりで鳴いているよ、おねえさん、と語りかけてくる。

 スターくんも、あーちゃんの言う通りにピアノを始めたよ、僕はここまで来たよ、そして僕は音楽でやりたいことがあるよ、と語りかけてくる。

 仕事人さんは、残りの三人から、音楽は楽しいよ、素晴らしいよ、本当にそれでいいの?と語りかけられる。

 

 元天才さんや仕事人くんに無くて、天才くんやスターくんにあるものは才能ではない。

 自分にはこれ以外ないのだと、腹を括っていること(天才くんは微妙だが)。

 あるいは音楽をすることが、「~のため」ではないこと。

 己の欲望に忠実であること。

 

 私は、この二人、元天才さんと仕事人さんが「音楽家になるのだ」と決意するシーンが、この物語のクライマックスだと思う。

 だから、本選のシーンは私的には極端な話、無くてもよく、順位はさらにどうでもよかった。

 もう、十分に感動的だったからだ。

 

 現実の音楽コンクールがこういうものなのかは分からない(実際は、もっと大人の事情が入り込んだドロドロしたものだと思うけど)。

 もしも本当に音楽コンクールが、この本のように、少女や少年だった彼らが(音楽的にのみならず)精神的に成長していく場なら、なんと素敵なことだろうと思う。

 

 ちょっと漫画っぽいけど、由緒正しいBildugsromanだと思った次第。 

 

 ところで、作者は登場人物に「文学と音楽は似ている」と言わせているが、私的にはスポーツとも似ているなと思った。

 スターくんも元アスリートだったようだ(ハイ・ジャンプのことを回想しているシーンがある)。

 陸上部だった私は、大した成績は残せなかったが、ずーっと日々、地味な練習を一人で続け(陸上競技は、基本的に団体でやるものではないので、傍目に集団で練習しているようで、実質一人だ)、試合の日は、プライドと自信、緊張と弱気さを抱えてコースに出ていた。

 誰かのちょっとした言動、ライバルの動向、大人たちの動き(中高校だと、高校・大学の陸上部の監督が見に来ていることがあった)で、考えや感情がくるくる変わるのも、本書で読んだ登場人物たちと大変に似ている。

 

 というか、どのような生業(学業、芸術、仕事・・・)も、本質的に似たところを持っているのだろう。

 だから、多くの人に、共感をもって読まれたのではなかろうか。

 

 いやー、面白かった。

 

 映画はどうでしょうか。

 ・・・もしものことがあっても、私としては松岡茉優さんのご尊顔を拝謁して満足することにします。

 

 

 

恩田陸「蜜蜂と遠雷」上下

幻冬舎文庫  454、508ページ

各803円(税込)

ISBN 978-4-344-42852-2,  978-4-344-42853-9