「小さいころから英語を勉強させればバイリンガルになれる」という言説が流布されており、その種のことに熱心な幼稚園などをみかける。

 本当だろうか?

 

 

 子供が「あっという間に外国語を覚える」ことが誤解であると、一章まるまる費やして説明される(p133-172)。

 発音、語彙、文法レベルで、実は子供たちがいかに苦労しているかが検証される。

 いきなり「幼少期からの勉強でバイリンガル説」は退けられる。

 

 

 「ことばを学ぶ」とはどのようなことなのか。

 言葉が商売道具の私にとって大問題で、とても興味あるご研究である。

 

 赤ちゃんにとって「音を聞く」ことがすでに大仕事であるという(p41-82)。

 各文化圏特有の発音は、生後1年までの時期にある程度、聞き分けられるようになるらしい。

 逆に言えば、この時期を過ぎると英語圏に居なければlとrの発音の聞き分けは困難ということになる。

 ここで重要なのが、音の聞き分けに他者の存在が欠かせないということである。

 たとえばテープで音を流し続けた場合と、実際に人が音を聞かせた場合では、圧倒的に後者が有利だという(p69-71)。

 

 音をただ聞かせればいいのではない。

 他者と目を合わせ、お互いが反応しあう生き生きとした交流の中でこそ、人は何かを覚えることができるのである。

 

 次に音を「ことば」「単語」として覚える。

 ここでも他者が必要になる。他者が見たり指差す、あるいは赤ちゃんが見たり指さしたりしたものに「あれは~ね」と誰かがその名前を答える。

 そのような相互作用の中で、人は単語を覚えていく(p104-105)。

 

 そして次のステップが、おそらく赤ちゃんにとって高いハードルではないか。

 言葉のカテゴリー、次元の違いを理解することである。

 たとえば、「動物」の中に「毛むくじゃら」のものがいて、その中ににゃーと鳴く「猫」がいる。

 私たちは猫を見れば、ぱっと「あ、猫だ」と言える。

 しかし、単語を覚えている過程の赤ちゃんは、同じ猫に対して、お父さんから「猫だね」と教えられるかもしれないし、お兄さんに「あれは動物だね」と言われるかもしれないし、となりのお姉さんに「あ、モフモフちゃんだ」と教えられるかもしれない。

 このような別の表現、それも水準の違う形の命名を、赤ちゃんは聞かされる(p108-112)。

 このバラバラな命名の中で、赤ちゃんは「動物」→「毛むくじゃら(モフモフ)」→「猫」というヒエラルヒーを自分で形成していく。

 この作業は人間だけにみられ、対数関数的に爆発的な勢いで言葉を覚え始める時期がある(p115)。 

 確かに「何か」と「名前」を1対1で覚えるなどという方法では、このような作業は不可能だろう。

 

 

 ところでソシュールの考え方を取り入れた精神療法学派では、「コトバ=名前」と「何か=名前をつけられたもの」は恣意的に結びついているのでズレやすく、それが症状形成と関連するという議論をしている。

 しかし、恣意的だから「ずれることがありえる」という、一見、わかりやすい議論より、恣意的にも「関わらず」言葉が何かと強く結びついているという事実、言語を覚えて以後、私たちが苦も無く言語運用できることの方が重要ではないか。

 

 といのも、これは私の実感でもあるのだ。

 まだ私の子どもたちが幼かった時、彼らに猫とクジラが同じ哺乳類という種類であることを理解させるのに、すごく時間がかかった。

 具体的個物と名前の関係は簡単なのである。恣意的であっても覚えればいい。

 問題は抽象化していく場合だ。

 名詞でさえ抽象化され、「名前をつけられたもの」は具体的な何から離れて、何かに対する「名前」自体が「名前をつけられたもの」になるという多層構造になっていく。

 

 私は、この名前が多層化していくことに注意を払った議論を、精神療法論で読んだ記憶がない。

  

 

 理論は横に置いておくとして、どんなに滅裂な精神病状態の患者さんでも、日常会話もままならないことは、ほとんどない。

 せいぜい不思議な言葉使いをするくらいだ。文法構造が壊れることもみたことがない。

 むしろ脳梗塞などで失語症になった方のほうが、よっぽど単語も文法も滅茶苦茶になる。

 

 私は言葉という恣意的だから動きやすいように思われる構造から、心の病を考えるのはあまり得策ではない気がしている。

 恣意的にも「関わらず」、「モノ」と「コトバ」が結びついていることが重要ではないか。

 恣意的だから「動く/動きやすい」という発想は単純ではないか。

 私の<妄想>では言葉の問題は結果であって、言葉よりも身体的なもの、たとえば情動などが重要ではないかと思っている。

 

 

 メンタルヘルスでは言葉の成立を考えることは大事だと思う。

 そういう点でも読み応えがあった一冊。

 

 

 

 

針生悦子「赤ちゃんはことばをどう学ぶのか」

820円+税

中公新書ラクレ      216ページ

ISBN 978-4-12-150663-4