女子大生もどき

女子大生もどき

日本のどこかで女子大生をやっている、ゆりかと申します。
日常でわざわざいうほどでもないけれど、講義中などにつらつらと考えたことを綴ります。

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なんとなくつらつら考えていたらわりと長くなったので、わけます。


さて知り合いに、東大生集めた番組やってたけどゆりかと同じこと言ってたと言われました。

いわく、芸人としてやっていけるのは凄い。自分には無理だ。そして自分は勉強に特化していた。同じことだ。勉強が出来るからと言って特別に凄いわけではない。という趣旨のことを話していたそうです。

うん、勉強に向いていて、それをするのが苦でなかったから勉強しました。勉強するのに時間をとられて、ドラマを見ていなかったり遊べていなかったり?するので感覚が世間とずれているというデメリットもあります。勉強が出来るというのは、単に基礎的な飲み込みの良さとある程度の努力の出来る人間だということが担保されるだけの指標です。

せやねって思って聞いてたんですけど、その後に、その東大生に対してイラっとしたというコメントがあったことも言われました。あ、てことは貴女もイラっとしてたのね。ってなったのですが、どうしてそうなのかほんっとにピンとこなくてしばらく考えておりました。

まず、凄いわけじゃないという台詞が上からに感じるのか?となって、でもそれは世間の勉強に対する評価が高すぎるからなんですよね。
でも評価されすぎているというのが、勉強出来ると言われている人間にしか分からないのかしら。まぁ私の場合、人を嫌いだと思ってしまったときにまっさきに疑うのが自己嫌悪の質なので、あんた自身に勉強できない引け目があるのかなって思ってしまうんですけど☆
勉強できてもあれじゃあねって笑われて置くのが正解なのでしょうか。なんとまあ非生産的な。
でもこの思考が優越感による思考の可能性は普通にありまして。

では、私の苦手かつ必要だと思っているフィールド、適度な距離を保つ人間関係に置き換えてみましょう。因みに私は近づきすぎるか、遠ざけ過ぎてしまうタイプです。

うむ、めっちゃコミュ力の強いひとが、コミュニケーションとれたって凄くないよ。コミュニケーションがとれるだけ。それだけ。って言われたら‥‥。
うーん、若干いらっとするかもしれません。いや、凄いから、出来ない私はなんなの!って気分ですかね?
ふむー。でも、そのいらだちって相手に対して感じるものではなく、自身の至らなさに対するものですよねぇ‥‥。

それは置いておいて、コミュニケーション力が強いというのにもきっと種類があって、知り合いは多いけれど、自分のために何かをしてくれるような人は少ないという人もいるでしょう。
勉強もそうですよね。暗記力の強いひと、努力のできる人、ひらめきのある人。
その違いが理解できないと、実情と異なったとりかたをしてしまうのかもしれません。

さてさて、次は違いに焦点を当ててつらつら考えます。

つづくー