自分がどんなに気を付けていても、他者の不注意による事故に巻き込まれたり、悪意をもった罠にはめられることがある。こんなことは、日常茶飯事。
 今回は、予想に反しては、周囲のボヤが自分の足元に飛び火ということである。
すなわち、身内に事件の関係者らしき人物がいた場合の問題である。大企業の社長さんや校長先生であれば、ピラミッドの頂点だから、部下や生徒の不祥事など火消しに追われる確率が高くなる。
 例えば、企業の巨額損失や、教育現場でのイジメの問題で、トップが会見で平謝りに頭を下げている光景をテレビで目にする。
う~ん、こう言っている自分にも同様のことが....。まあ、クロと決めつけることができない状況なので、大らかに構えるしかなさそうである。しかし、一方で不審な点もあり、情報収集あるのみ。
ただ、余り過剰反応するのも話を混乱させるばかりだろう。「疑わしき罰せず」「人権」「正義感」「モラル」「人情」様々なことが絡む。不用意な発言は人を傷つけることにもなるので、冷静な判断が必要だろう。またまた、「危うき」が近づいてきたのである。
子供の頃、自分は大そう臆病であった。
(それは今も変わらない。)
古い話であるが、幼稚園児のころ、
自分の園で予防注射をすることになり、
医師と看護婦さんがやってきた。
園児たちが一列に並んで、予防注射している。
平然としている子供もいれば、大泣きの子もいる。
当然、自分は大泣きの子に恐れをなす訳であって、
半分パニック状態でトイレに逃げ込んだ。
そこで、ふと思いついたのが、ここに何時間も
いれば、見つかって注射されるし、ただ、のこのこと
出ていけばバレる。そこで、幼稚園児ながら
知恵を絞り、腕まくりをして、注射針の刺さるで
あろう箇所を、片方の手で揉みほぐすしぐさをしながら
出ていったのである。
そのまま、友達と痛かったねと口裏合わせをして
難を逃れた。

しかし、考えてみれば、それが難を呼び込んむかもしれねい。
その時は、それが原因で、流行り病にかかり、死んでも文句は言えな
とまでは考えなかった。

話は変わるが、
今、世の中を見渡すと、人とのコミュニケーションが
嫌で、30代でも無職、収入ゼロの人が除所に出はじめて
いる。餓死を選ぶか、嫌なことに飛び込んでも生きていくか、
本人にとっては究極の選択なのだろうが、多くの人は、
目先の安易な方に流れていく。

必ず訪れる未来も見据えて生きていかないとね。






久々に書き込みする。


本日は、「口は災いのもと」について。


自分は時として、ノー天気におしゃべりになる瞬間がある。

しかし、受取り手によっては、こちらの意図とは全く逆の意味に理解される場合も

あるだろうし、過剰な期待を与えすぎることもある。


家族に、「明日はXXXに行こう」などとレジャーに誘うかのような発言をして、

ドタキャンしたときの反応は恐ろしい。家庭内村八分になってしまう。


そういえば、昔、思わせぶりの得意な、とある女性に振り回らせたものだ。

もともとチャーミングなその女性が、あるとき、あなたと一緒になったらどんな

家庭になるかしらと言われ、真意を聞かずにスキップして帰宅。

次の日、結婚話のようなことを口走ったたら、いつあんたと結婚してって言った?

と激怒され撃沈。公衆の面前で大恥をかいた。そもそも、思わせぶりが得意と

分かっているなら、近づくな!ということだ。


前回の記事で、「この人オカシクナイ?」と客観的な意見をポロッと発言するのはまだ

いいとしても、個人的妄想でトヤカク論評するのはちと具合が悪いことがある。

話が独り歩きして膨張するのだ。その発言が、又聞きであっても、「アイツがこんな

非難をした」と話がねじれ膨張する。


「沈黙は金」とはよく言ったものだ。あるいは「きじも鳴かずば撃たれまい」ってのも

同じ意味。