私は発達障害なのだが、一見して障害があるようには他人からは見えない人間だ。
事実、ほんの数年前まで自分自身、自分が『発達だ』なんて思いもせずに生きてきたし、その状態で働いたりできていた。
そして今、発達障害の診断を世の中から頂き、手帳もとって生きているが、少なくとも仕事面では手帳が役に立っているのかどうかはかなり微妙だ。
なぜなら手帳を手に入れた事で、ただでさえ他人にみくびられやすい雰囲気の人間が、「手帳持ち」を公言する事で更にナメられているのは紛れも無い事実だからだ。
ただ、手帳は私にとって心の支えなのだ。
その事を、このブログのほんのわずかな訪問者に訴えたいと思う。
私は親にだってただでは受け入れてもらえなかった。誰も、私が私であるがゆえに受け入れてはくれない。
会社は私が問題なく勤めているから受け入れてくれているだけだし、その他のあらゆる人間関係も、私が何か失敗すればたちどころに関係は悪くなる。
しかし、手帳で受ける障害者サービスだけは別な感じがするのだ。
私は手帳を使って市民プールや地下鉄をたまに無料で利用するのだが、これらの店員(プールの受付の人や、地下鉄の駅員)は、私が私である為に受け入れてくれているのであって、私がどんな風に良い人間か、悪い人間なのかを一切問わないでくれる。
もちろん本当は、親にそんな風にしてもらいたかった。
でも、そういう人生じゃなかったから、どうしようもないんだ。
そして、私は(このなんだか狭くなっていく一方の日本で)いつか手帳を失うような不安があるのだ。
この国はこれから今よりもっと窮屈になり、お金がなくなり、少子化し、社会に余力がなくなるだろう。そして『障害者サービスを受けられる人間はもっと狭めよう!だって予算なんか無いんだから‼︎』となるような気がしてならないのだ。
そうなった時、私のように手帳が無くても一応生きられる人間は真っ先に手帳を失うような、そんな気がするのだ。
私には、話を聞いてくれる人間なんていないから、このブログでわずかな人数に言うしか無いのでここでこんな事を言うんだけど。。
頼む、世の中よ。私から手帳を奪わないでくれ。
私は親にだって懐に入る事を許してもらえなかったのだ。
プールの受付の人や、地下鉄の駅員だけが、私が手帳を示す事で「どうぞ」と言って、懐に受け入れてくれているのだ。
それは『私が頑張ったから』とか『私がお金払ったから』でなく、『私が私である為』という感覚なのだ。
その事に私がどれだけ嬉しさを感じ、感謝しているか、誰も知らないだろうから、こんなところで訴えているのだ。
もちろんぜ〜んぶ「なんとなく」の感覚の話ではあるんだけどね。。。
とはいえ、それでも・・・「障害者」とかそんなくくりには関係なく、世の中の1人1人が「余裕」無いのは知っている。だから、この国にもっと「余裕」無くなってきたら、私から手帳をとってしまっても構わないよ。私は、「手帳を無くしたらたちどころに生きていけなくなる」訳じゃないからね。
そしてその時、誰も私の気持ちを察する事が無くても、このブログで記したような気持ちが私にある事を、誰も何も知らなくとも、私はマジメにやっていけるからね。
神様を信じているから。
私がマジメにやっているのは自分を守る為や、世のためひとのためじゃない。
それも無くは無いけど、『神様が何もかも見通しているから』。これこそが真の恐るべき焦点なんだ・・
私達の命綱たる年金を、無駄なハコモノ等にドクドクつぎ込んだ愚かな政治家達よ、戦慄するが良い・・『人は皆、数学的正確さで人生に「見えない因果律の報い」が働いている』事実を、死後にでも・・。
事実、ほんの数年前まで自分自身、自分が『発達だ』なんて思いもせずに生きてきたし、その状態で働いたりできていた。
そして今、発達障害の診断を世の中から頂き、手帳もとって生きているが、少なくとも仕事面では手帳が役に立っているのかどうかはかなり微妙だ。
なぜなら手帳を手に入れた事で、ただでさえ他人にみくびられやすい雰囲気の人間が、「手帳持ち」を公言する事で更にナメられているのは紛れも無い事実だからだ。
ただ、手帳は私にとって心の支えなのだ。
その事を、このブログのほんのわずかな訪問者に訴えたいと思う。
私は親にだってただでは受け入れてもらえなかった。誰も、私が私であるがゆえに受け入れてはくれない。
会社は私が問題なく勤めているから受け入れてくれているだけだし、その他のあらゆる人間関係も、私が何か失敗すればたちどころに関係は悪くなる。
しかし、手帳で受ける障害者サービスだけは別な感じがするのだ。
私は手帳を使って市民プールや地下鉄をたまに無料で利用するのだが、これらの店員(プールの受付の人や、地下鉄の駅員)は、私が私である為に受け入れてくれているのであって、私がどんな風に良い人間か、悪い人間なのかを一切問わないでくれる。
もちろん本当は、親にそんな風にしてもらいたかった。
でも、そういう人生じゃなかったから、どうしようもないんだ。
そして、私は(このなんだか狭くなっていく一方の日本で)いつか手帳を失うような不安があるのだ。
この国はこれから今よりもっと窮屈になり、お金がなくなり、少子化し、社会に余力がなくなるだろう。そして『障害者サービスを受けられる人間はもっと狭めよう!だって予算なんか無いんだから‼︎』となるような気がしてならないのだ。
そうなった時、私のように手帳が無くても一応生きられる人間は真っ先に手帳を失うような、そんな気がするのだ。
私には、話を聞いてくれる人間なんていないから、このブログでわずかな人数に言うしか無いのでここでこんな事を言うんだけど。。
頼む、世の中よ。私から手帳を奪わないでくれ。
私は親にだって懐に入る事を許してもらえなかったのだ。
プールの受付の人や、地下鉄の駅員だけが、私が手帳を示す事で「どうぞ」と言って、懐に受け入れてくれているのだ。
それは『私が頑張ったから』とか『私がお金払ったから』でなく、『私が私である為』という感覚なのだ。
その事に私がどれだけ嬉しさを感じ、感謝しているか、誰も知らないだろうから、こんなところで訴えているのだ。
もちろんぜ〜んぶ「なんとなく」の感覚の話ではあるんだけどね。。。
とはいえ、それでも・・・「障害者」とかそんなくくりには関係なく、世の中の1人1人が「余裕」無いのは知っている。だから、この国にもっと「余裕」無くなってきたら、私から手帳をとってしまっても構わないよ。私は、「手帳を無くしたらたちどころに生きていけなくなる」訳じゃないからね。
そしてその時、誰も私の気持ちを察する事が無くても、このブログで記したような気持ちが私にある事を、誰も何も知らなくとも、私はマジメにやっていけるからね。
神様を信じているから。
私がマジメにやっているのは自分を守る為や、世のためひとのためじゃない。
それも無くは無いけど、『神様が何もかも見通しているから』。これこそが真の恐るべき焦点なんだ・・
私達の命綱たる年金を、無駄なハコモノ等にドクドクつぎ込んだ愚かな政治家達よ、戦慄するが良い・・『人は皆、数学的正確さで人生に「見えない因果律の報い」が働いている』事実を、死後にでも・・。