みなさん、はじめまして!
このブログの主、「ひろちゃん」の夫です。今回初登場です。
旅行中の妻の日記を読んだことは一度もなかったので、
今回のキリマンジャロ登頂記は私にとっても新鮮で、
忘れていた場面を思い出しながら、毎回楽しみにしてました。
妻から「夫の目から見たもうひとつのキリマンジャロ登頂記」を
書いてみたらとそそのかされての登場です。
☆ギルマンズポイント付近で妻に会ったときのこと
登頂を終えて下山中に遅れて登ってきた妻と会ったとき、
ガイドのマタタから「彼女は頂上へ行きたいといっているがどうするか?」と聞かれた。
行かせてやりたいとは思いつつもとても無理なように思えた。
なにしろ自分も何歩か歩いてはうずくまって息を整えながらやっとのことで、
行ってきたばかりだったのだから。これから行くとなると、体力的にも時間的にも厳しいことは目に見えていた。妻に「行きたいのか?」と聞くと頷くので、ガイドのマタタに「行かせてやって欲しい」頼んだのだが、後でとんでもなく後悔することになった。
☆妻と別れてから
その後、それまで良かった天気は一変し、アラレは降るわ、風は嵐のようだし、アシスタントガイドと二人下山しながら、何度も後ろを振り返った。
「妻は大丈夫だろうか?」
どんどん不安になっていった。ロッジについてからも、ますます天候は悪くなるばかりで、ロッジのスタッフに心配になってあれこれ尋ねたりしたが、
「ガイドは誰だ?」
「マタタだ」
「なら大丈夫。心配するな」
みたいなとりとめもない感じで、まったく安心できなかったが、疲れていたためか、しっかりベットで熟睡してしまった。
☆下山中の思い出
その後、妻も無事にロッジまで降りてきて、安心したが何しろ時間が遅い。夕刻であったが、もうひとつ下のロッジまで戻らねばならない。真っ暗で何も見えない中をひたすら歩いた。さらに翌日は雨の下山で最悪だった。この下山の間中、腹が減っていたこともあるけど、ずっと
「日本に帰ったら、焼きそばUFOを腹いっぱい食べるぞ」
とどうでもいいことをずっと考えていた。なんでUFOのことを何時間も考えていたかわからない。日本に帰ってもUFOは食べなかった。よっぽど辛かったのだろうか。
☆記憶について
相当忘れてしまっていた。
何しろホテルを移ったことも忘れていたし、ケニアで会った旅行者と再会して食事に行ったことすら忘れていた。
ブログに載せた氷河の写真は自分が撮ったものだけど、あんなに立派な氷河だった記憶はなく、逆にもっと貧弱な感じで記憶していた。
まったく人の記憶は当てになりません。
ただ、身体で覚えていること、空気の薄さについては、山を題材にした小説を読んだりすると、それだけで息が苦しくなるくらい、完全に覚えています。
☆キリマンジャロ登山について
妻のブログでは結構大変な感じで書いてありますが、登る行為自体はそれほど大変でなく、一般的には高山病の症状が強く出ない限り、普通に登れると思います。
自分たちが登った日は、登れずに下山した方は数人しかいなかったと思います。
天候によってはキリマンジャロ登頂率は90%を超えるのではないかと思います。
下山の時は悪天候でしたが、登るときにあの天気だったら、疲労が蓄積して登れなかったかもしれません。
これから登られる方は装備をしっかりして、体調万全で臨んでください。
普段、山登りをされる方なら、登れる可能性が高いと思います。
☆最後に
キリマンジャロ登頂後、数年を経て日本百名山に登るようになりました。
それまでは、小さな山にピクニックみたいな感じで行っていたんだけど、今ひとつ燃えるものがなく、将来引退したら始めようと思っていた「日本百名山」に夫婦で登っています。雨が降っても、ゴアテックスのレインコートがあるから、快適です。まだ残り90座あるので、相当楽しめそうです。
最後まで読んでいただいた皆さんに感謝。
キリマンジャロの日記をつけてくれた妻に感謝。
山に感謝です。
ひろちゃん夫