長らく掲載してきましたキリマンジャロ登頂記も今回で最終回です。
私は、この13話まで書く途中、かなりイモトの登山映像をyoutubeで見ては
涙してしまいました・・・しょぼん
そして自分の日記を読み返してブログに載せながらもっと泣いてしまいました。
はずかしながら、そのブログを見た夫も泣いておりました。

しかし降りてしまえばイモトのように意外とあっさりしてしまいます。
今日は、そんな穏やかな日を迎えられた日のことを書きます♪





2002年11月16日

夢のあと・・・

 キリマンジャロのサミット、ウフルピークに立つと、登頂証明書なるものがタンザニア国からもらえる。ちゃんと、ガイドをしてくれたマタタのサイン入り!?でいただいた。
そこ記されていたある驚くべき事実が。




 私の登頂時刻、なんと、なんと・・・14:45pm。



 
 でも。
 この時間が存在するのもすべてマタタが叱咤激励してくれたおかげ。でなければ、登頂できるはずがなかったのだから。マタタは、私にとってはベストガイドだった。弱っちい心を鍛え上げてくれた。本当にありがとう。

 それにしても、午後の登頂者なんて私ぐらいだろう。普通は有り得ないよなぁ。最も遅い記録じゃないのかしら・・・?と渋い顔をしていると、マタタは「山にタイムリミットなんてないさ、そうだろう。」なんて気取った台詞を口にした。


うん・・・いい言葉だね。


私の忍耐力の証として、この登頂証明書は一生大事にするよ。



 ふと我に返ると身体中が痛い。
顔も、かなりヒドイ雪焼けをしていたことが判明。顔の皮がボロボロむけだしたあせるこの分じゃ、跡が残るかもな。そうなったら、勲章と思うしか、ないな。

 午後、マタタのオフィスに借りていたギアを返しに行ったら、マタタはもう次の客をGETしていた。20代前半のコリアン男性だった。やるじゃんビックリマークと思っていたらマタタが困った顔で私たちにこう言った。「あんた達から、この人を説得してくれ。」と。なんと、このコリアン男性、自分は軍隊でマイナス40度の極寒でも鍛えた体だから、マタタの用意するギアなんて必要ない、と言っているのだ。私たちが良かれと思って話をしても、強情で全く聞く耳もたない。

 それでもマタタは、この男性もきっと無事にサミットへ連れて行くだろう。マタタは私たちと違って、元気だった。

明日、ここを出発する。
出会いをくれてありがとう、モシの町、キリマンジャロ、そしてマタタ。
また一つ、夢を実現したよ。




「ススメ!キリマンジャロ登頂記」 -完-




ここまで読んでくださったみなさん、どうもありがとうございました。
みなさんも楽しんでくださったなら、またいつか思い立った時に
今度は違う旅のドタバタ劇をUPしてみようかな、と思ってます音譜





おまけに、登頂途中のマタタのスパルタ登山風景を一枚。




夫が目撃した、ギルマンズポイントからウフルピークへ向かうマタタ。
かなり遅れて、私。