只今、世界一周旅行中の日記のなかから、キリマンジャロ登頂期間(全13回。の予定)のものに加筆して、掲載中です。

ここ数回でアクセス数が急増しました!
みなさん、訪れてくださって本当にうれしいです。ありがとうございます。
世界一周の軌跡を書くのは初めてでドキドキしますが、
あと数回、いよいよ佳境です。
どうぞおつきあいくださいm(_ _ )m



2002年11月14日

第四日目 サミットへの執念

 気持ちがフワフワしていた。
ホントにこれからアタックをかけるのだろうか?
6~7時間後にはウフルピーク(=サミット)に立ってるのだろうか?

 寒い。とにかく寒い。風はないが空気が冷え切っていて、息をすると氷を食べているような重みを感じて、気管でとどまって肺まで空気が届いていないような気がする。

 歩幅あしは30㎝くらい。10歩も歩くと息があがってしまう。暗くてわからないが、相当な上りだ。追い抜いていく人達のヘッドランプがはるか上の方を動いているのが見え、これが何時間続くのだろうと思うと、考えただけでゾッとした。マタタは相変わらず「ポレポレ」と言っているが私にとってはペースが速い。しばらくついていくが、休憩の度に身体がバラバラになりそうだった。

 何時間歩き続けた?傾斜はキツイまま。身体は全く温まらない。逆に冷えに冷え、首から肩の付け根までの筋肉が強烈に痛み出した。ステッキを突くたびに激痛。握る指先も感覚がない。もうダメだ・・・。声に出すこともできずに苦しみ続ける。

 しばらくしてマタタが足を止めた。ギルマンズポイント(5682m)までの中間地点の、風のややしのげる岩穴で日の出を待つことになった。懐中電灯の電池切れ。まさかの!! 暗闇をこのまま進むのは危険らしい。時間をみたら4:30amだった。日の出を待つ間も寒さで振るえが止まらない。このまま眠り込んだら死んじゃうのかな~・・・とうつらうつらよぎる。


 待ちわびた、日の出!!!!!


 太陽の暖かさをこれ程貴重に思ったのは初めて。0.1度ずつゆっくりと温度計の赤い針が上昇するように身体の血流が徐々に増えていく感覚がした。


あぁぁぁ~生きてる~・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。


手足に張ったカイロは凍ったのか硬くなっていたのではがした。感覚の鈍い手を一生懸命動かしてカメラの電源をONにした。ついた!ギルマンズのはるか下で日の出を迎えてる私たちって・・・今日、この日の出のアングルは前代未聞になるかも知れない。

気温が上がり出したら身体もほぐれるだろう。・・・と思って再び上り出したが今度はスタミナ切れ。マタタの判断で、夫にはアシスタントガイドと共に、ギルマンズ、そしてウフルを目指し先に行ってもらうことになった。せめて夫だけでもサミットに行ってもらえたらそれでいい。別れ際、何て言葉を発したかも、夫の表情もまったく覚えていないが、小さくなっていく夫の姿に必死で祈りを捧げていたと思う。




お稽古の極み

キリマンジャロアタック中(5200m付近)で迎えた感動の日の出





 夫とも離れ、マタタと二人きりになった。
ここから私の地獄が始まった。
見上げると先はまだまだ岩山。私のこのペースだとギルマンズにたどり着くのもおぼつかないだろうなーと、悟り始めていた。諦めも、この状況では賢明な選択、と納得してマタタにそう告げようとしたとき、何とえっ!!もうウフルへ行って戻ってきた人たちが、ヘバっている私に向かって激励の言葉をかけてくれた。

「Never Give Up!!!」
んー・・・わかるけど得意げ
「Just near!!!」
ホントむっ!?
マタタも「You are Iron lady!!!」とマシンガンのように連発してくれる。
嬉悲しくて、身体が重いって言われてるのかしら?とひねくれつつも「Thank You.」と笑顔を作った。


それでも悲劇は訪れた


 喉が渇いてきた。水のボトルはあろうことか、2つとも夫が持っていってしまっていたことに気づく。いや、私の荷を軽くしようと夫が持っていてくれたのを、別れる時うっかり忘れていたのだ。

ア~・・・こうなると太陽の陽が恨めしい・・・こんなところで乾き死にか・・・。

ぶっ倒れた。干からびるっていうのはこういうことを言うんだな・・・スルメの気持ちがわかるよ。皮膚から毛穴から水蒸気がもうもうと上がっていく感覚がした。しばらくして意識が遠のいたと思う。数分か、数十分か。するとマタタが目の前にボトルを差し出してくれた。下山してきた優しい誰かがくれたのだ!(のちに聞くと、夫が気がついて下山者に託したものだった。)


ふたたび、生き返った。


 それからはしかし、ますますペースが落ちた。マタタが私のステッキの先を握り、もう一方の端を私に持たせ、ひっぱり上げながら何とか私を上に運ぼうとしてくれた。嬉しかったが、私の身体は無理な体勢に耐えられず返って体力を消耗してしまう。また独りでもくもくと歩く。上方の景色は、日の出を迎えたときから寸分たがわずに見える。登っても登っても一行にたどり着けない。

 何てことだ。なんて事をしてしまったのだろう。登るも地獄、下るも地獄じゃないか。こんなところで立ち往生して動けなくなっても助けなんて来ない。マタタだって私を見捨てるに違いない。夫は・・・頂上へもう着いたかな。もしかしたらあれが最後の別れだったかな。辛い。苦しい。もう考えるのもイヤになってしまった。マタタに何度か叱咤されたような気がしたが、頭の中は空っぽ、苦痛から逃れたいという身体からの欲求だけが感じられた。そうなると不思議なことに便意をもよおしてきた。


開放感が私を救ってくれたロケット


 上の方で待っていてくれたマタタが「Come on!」と言う。息を整え岩をよじ登るとなんと、遠方に氷河が見えた。




お稽古の極み
夫が撮影した山頂付近の大氷河。
(2030年頃には、温暖化の影響で溶けてなくなってしまうそう。)




ひぇぇぇ~キラキラ キレ~イキラキラ




この感動の数十分後、私はギルマンズポイントにたどり着いた。




ここがギルマンズか―――。




 ひとしきり自分のなかでウーウー泣いた。本当に泣いたら涙も鼻水も凍っちゃうからガマン。多分この世のものとは思えないヒドイくしゃ顔をしていたと思う。
あー、ここであったかーいキリマンジャロコーヒーマグカップ*でも飲めたら最高なのに・・・。現実はそんなこと不可能に近いことを身にしみて感じていた。何年か前か、俳優の反町隆史がキリマンジャロの山頂でキリマンジャロコーヒーを飲もう!っていうTV番組の企画で、このギルマンズポイントでギブアップしたっていう話を聞いて「情っさけなーい」なんて思ったけど、わかる!今ならわかる!


すると・・・


 ウフルは諦めて下山しようと決めていた私に、マタタが「ウフルへ行かないか」、と誘ってきた。「すぐそこだよ」と。「君なら行ける」と。確かに、ウフルピークらしきものがマタタの指差す先にうっすら見えていた。それでつい欲をかき、あれ程死にかけた思いもぴゅっと忘れ、私は再び歩きだした。



歩き出して程なく、嬉しい再会が・・・ラブラブ!



ウフルに到達した夫がアシスタントガイドと共に降りてきたのだビックリマーク夫はサミットを征して爽快な顔をしていたが、私を見る目はまるで、ボクシングでいうところのセコンドで、いつタオルをリングに投げ込もうかとタイミングを見計らっているかのようだった。「ウフルまではまだキツイ、大丈夫か」とダウン寸前のファイターに意思確認していたが、私は惰性でうんうんとうなずくだけで、夫の心配はまるで気にしていなかった。

 ほんの数分、マタタと夫が話している間に、私はアシスタントガイドからもらったクッキーを3枚口に入れてレモンティーで流し込んだ。不思議と食欲はないのに、超空腹感に襲われていたのだ。マタタは、私をウフルまで連れて行くことの了解を夫に得ていたらしかった。夫は、「彼女が行きたいと言うなら連れていってやって欲しい」と答えたのだと、のちに知った。

 ところが、そんなキレイな会話は私の耳には届いておらず、夫とまた別れてサミットへ向かって再び歩きだすと2回目の地獄が始まった。
マタタの言う1時間どころか、2時間歩いてもウフルに着かない。マタタはどんどん先へ行き、私が追いつきそうになるとまたスタスタ先へ行ってしまう。孤独だ。マタタはスパルタガイドむかっ10歩進むのがやっとなのに、まったく配慮がない。冷たい男だ。息切れなんかじゃなくて、息ができないのに、身体が思うように動かないのに、助けてくれない。

 するとマタタが私のところへ戻ってきて、タイムアウトを告げた。正直、「やったアップ」と思った。勇んでみたものの限界でした。マタタが「何でそんなにゆっくり歩くんだ?」と聞くので、「だって息もできないし、足も疲れたし、お腹も空いてるし・・・」と半べそ顔で答えると、


「オレのこと嫌いハートブレイクなんじゃないのか。じゃあ、行こう!!



と言って再び登り出した。



エェェ~~~っっっショック!ダウンダウンダウン



マ、マタタ・・・。  スタスタスタスタ・・・・(マタタの足音)





(日本を出発してから507日目)


つづく・・・




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