ほとんどの日本人が知らない世界一古い書物の預言。世界中の人に向けて書かれた預言

ほとんどの日本人が知らない世界一古い書物の預言。世界中の人に向けて書かれた預言

旧約聖書の中には人類史の大きな秘密が隠されており、新約聖書の最後の書の中には地球が疫病や地震や戦争で混乱すること、逃れるにはどうしたらよいか書かれています。心も身体も健康に、みんなでサバイバル目指しませんか?

私の”生徒の個性引き出し法“のひとつ

一人ひとりの個性とテクニックレベル合った楽譜を、レッスン現場でまたは家に帰って、イメージが消えてしまわないうちにサア~~ッと手書きアレンジで書いてしまう方法。

生徒が実際演奏してみて、テクニックや曲想のレベルが追いつかないなどの結果が出れば、その場で書き換える。

生徒によって和音の好みが違うので、一人ひとりの生徒好みの伴奏を取り入れて書くようにすることもある。

このブラームスの曲の場合は初心者用でピアノ曲だが、初めから弾きやすいものを選べる様人気のある部分の小節を4通りの演奏法を書き出してみた。まだ未完成だが、この中の一つを選択した後完成させる。

 

小1でこのアレンジのリズムを理解してしまう子もいれば😆、大人でも理解できない人がいて🤔面白い。いろんなケースがあればあるほど、私の教える技の向上に寄与する素晴らしい研究材料となる🥰。

アッ!今気がついた。最後の方の小節は、レミファレだった。訂正しないと😅!

シニアはミスを犯すと若い人よりミスが少なくても、しつこいいじめに遭う可能性もある。

 

 

 

 

私の恩師の一人は、東京芸大の指揮科と作曲科を現役で受かった、いわき市出身の小林研一郎先生。ヨーロッパの指揮者コンクールでも一位になられた。

この先生の凄さは、この芸大を受けてみて分かった。当時声楽科では声楽とピアノが飛び抜けて上手く、学科でも優れていなければ入れなかったのだが、なんと現役合格者ゼロで一浪合格者がたった2名という厳しさでわかった。

 

私は高2で突然理数科系進学コースから音大志望に転校したので、先生は大反対。その上、「受けるなら良い大学でないとやる気がでない。」と、無謀にも芸大を受け、練習中の受験生の演奏を聞いて「えー!プロの音楽家も来ているの〜?」なんて呑気なことを思っていて、自分の無鉄砲さを後で痛いほど思い知った。このプロのように歌っていた人たちは受験生で、長い人は7浪目の人。

 

上記のコバケンさんは、6歳から音大受験準備をやっていて、中学生になった頃には、親が世田谷の田んぼの真中に土地を買って芸大に通う準備をしていたという。同じ小中学校に通い、すごい天才と言われていたのを聞いて頭が良さそうとは思っていたが、あの芸大作曲科に現役合格、それでも足りずに指揮科まで出ていて、ハンガリー交響楽団の常任指揮者にまで上り詰め、幼児の時から音楽まっしぐら!私のように、美術、理数科、音楽とコロコロ変わり、フラフラしている人とは人種が違うようだ。

 

それでも受験までの間、毎日ピアノを5時間近く練習したのだが、声楽科を受けるのに、中学に入ってから始めたピアノが下手で困った。ただ、この苦労がピアノ教師としてはとても役立っていることを考えると、何がいつ役立つようになるかなんて想像するのは非常に難しいとも悟った。この時の苦労が役立って、うまく弾けない生徒に寄り添って教えられている様に思える。

 

前置きが長くなったが、この先生の教えない教え方❓❓で厳しく頭脳を磨かれ、自分で考える人間でありながら更に厳しく自力で研究する方法を身につけた。簡単にいうと、昔の丁稚奉公や大工修行の教え方で鍛えられたというべきかもしれない。

ただ、これは今の子供達には合わない教え方なので、私の場合正反対にベラベラ喋ったり、丁稚奉公スタイルではなく質問攻めで考えさせるという方法でレッスン遂行中。

今日は、ひろばあはピアノ🎹や英検指導👧🗣️レッスンで忙しい~~~❗️

 

続きは、また後で~🙇🙋‍♀️

 

また戻ってきました。

 

このコバケン先生は、私がミスしても下手な弾き方をしても黙〜〜ってジ〜〜っと見ているだけ。冷や汗をカキカキ弾き直す私。ある時、先生が妹の声楽家でやはり東京芸大出身の佑子さんを教えているところを見たのだが(かなり上手にピアノを弾いていた)やはりあまり細かく教えず、「下手だね。」と一言。佑子さんも、私と同じでどこが悪いのだろうと必死で考えているようだった。

 

ピアノも楽典(音楽理論)も指揮者から学ぶとかなり高いレベルまで行ける。指揮者として洗練されたその耳は、ピアノの先生や声楽の先生が適当に素通りするような、もしかすると気づかないような微細なぎこちなさでも見逃さない。音楽はすべて初めから終わりまでバランスが取れていて流れていなければならない。部分的に切れているような演奏は感動を呼び起こせない。今演奏している部分だけが頭にある人は、全体のバランスを忘れてしまう。

 

何事も浅く広く学びたい人たちは、昔の日本人が極めたいと努力した”道”などは興味がないようだ。でも、やはり私は、たった一つのことでも深く掘り下げ”道”を見い出せば、いまの自分の生活がどのような状態であっても”生まれてきてよかった!”と思えるような本当の感動に巡り遭えると思う。

 

聖書には、「死ぬ日は生まれる日に勝る。」と言う言葉があるが、有名になったり裕福になったりしなくても死ぬときに「人間として精一杯、人や自然を愛し善意を持って生きられた。」と満足感を持って死んでいけたら最高だと思う。

 

皆さんは、朝起きたとき、”今日をどんな気持ちで生きよう”と思って1日のスタートを切っていますか?