16年共に過ごした犬が
亡くなったと
母からメールで連絡がはいっていました。
仕事から帰る電車の中です。
小さい頃は
別れを想像するだけで
涙が出てきた少年も
高校、大学と経るにつれ
色んな経験をし、
昔より冷めたな、
冷静になったと思った時もありました。
動物の死も
例えば家族との別れも
冷静に頭で対処できる、
割り切れる。
そう思っていました。
しかし現実はそうではないと、
今年の春先に自分をとても
可愛がってくれた
祖父を亡くした時に思いました。
16年共に過ごした犬が
亡くなったと連絡がはいりました。
メールで入った連絡に対し、
文字面だけを読み
そうか。と
冷静に思ってる
冷静だと勘違いしてしまいそうに
なる自分がいます。
現実はそうではない。
事実、最近愛犬と撮った写真を見て
空間に立ち上がった愛犬を想像し、
両手で犬の顔をはさみ
顔を撫でた記憶がリアルに蘇り
電車の中で思わず涙が出た。
愛犬は目の前に存在し、
その物体がそこに存在することで
手にかえってくる反発を
今でもリアルに覚えている。
あのフカッとした
毛に包まれた顔を
両手で挟んだ感触がリアルに思い出せる。
しかし、死とはなんであろうか。
今は電車の中で、
家で愛犬が生きていようが
亡くなろうが
今電車の中で自分は一人である事実は変わらない。
変わるとしたら、
家に帰って愛犬を見たとき?
愛犬の体が亡くなってしまい、
触ろうとしても2度とさわれない時?
それでも、
例えば自分が半永久的に
海外にいてしまっても、
触ろうとしても2度と触れない事実は変わらない。
死とはなんであろうか。
死んでしまったことで
私は何を悲しむのだろうか。
昔の写真を見て一体私は何に涙をながすのだろうか、
過去を懐かしむとしたら、
思い焦がれるとしたら
犬が生きている時でも泣くのではないだろうか。
よくわからなくなってきた。
頭で考えるとそのようになってしまう。
泣くのは感情?
涙を止めるのは論理?
頭?
我々は感情と論理を併せ持つという証拠か?
切り替えられるということの一例か。
文章を書き、
冷静になっている自分に対し
少し軽蔑に似た感情で自分を見る自分もいる。
しかし、
私は知っている、
私はまた泣く。
それが感情的になってしまった
と同じ状況なのかもしれないだろうが、
泣くことを許可して、
感情を膨らませ
悲しみ涙を流す自分が
間も無く現れるのを
私は知っている。
きっと自分は一人なんだろうけど、
頭のエンジンの比重を高くして存在する自分と
感情のエンジンの比重を高くして存在する自分の
そんな比重の異なる自分が存在するらしい。
と、
ゴチャゴチャ書いてみた。
愛犬の姿を見た。
涙は出なかった。
亡くなったと
母からメールで連絡がはいっていました。
仕事から帰る電車の中です。
小さい頃は
別れを想像するだけで
涙が出てきた少年も
高校、大学と経るにつれ
色んな経験をし、
昔より冷めたな、
冷静になったと思った時もありました。
動物の死も
例えば家族との別れも
冷静に頭で対処できる、
割り切れる。
そう思っていました。
しかし現実はそうではないと、
今年の春先に自分をとても
可愛がってくれた
祖父を亡くした時に思いました。
16年共に過ごした犬が
亡くなったと連絡がはいりました。
メールで入った連絡に対し、
文字面だけを読み
そうか。と
冷静に思ってる
冷静だと勘違いしてしまいそうに
なる自分がいます。
現実はそうではない。
事実、最近愛犬と撮った写真を見て
空間に立ち上がった愛犬を想像し、
両手で犬の顔をはさみ
顔を撫でた記憶がリアルに蘇り
電車の中で思わず涙が出た。
愛犬は目の前に存在し、
その物体がそこに存在することで
手にかえってくる反発を
今でもリアルに覚えている。
あのフカッとした
毛に包まれた顔を
両手で挟んだ感触がリアルに思い出せる。
しかし、死とはなんであろうか。
今は電車の中で、
家で愛犬が生きていようが
亡くなろうが
今電車の中で自分は一人である事実は変わらない。
変わるとしたら、
家に帰って愛犬を見たとき?
愛犬の体が亡くなってしまい、
触ろうとしても2度とさわれない時?
それでも、
例えば自分が半永久的に
海外にいてしまっても、
触ろうとしても2度と触れない事実は変わらない。
死とはなんであろうか。
死んでしまったことで
私は何を悲しむのだろうか。
昔の写真を見て一体私は何に涙をながすのだろうか、
過去を懐かしむとしたら、
思い焦がれるとしたら
犬が生きている時でも泣くのではないだろうか。
よくわからなくなってきた。
頭で考えるとそのようになってしまう。
泣くのは感情?
涙を止めるのは論理?
頭?
我々は感情と論理を併せ持つという証拠か?
切り替えられるということの一例か。
文章を書き、
冷静になっている自分に対し
少し軽蔑に似た感情で自分を見る自分もいる。
しかし、
私は知っている、
私はまた泣く。
それが感情的になってしまった
と同じ状況なのかもしれないだろうが、
泣くことを許可して、
感情を膨らませ
悲しみ涙を流す自分が
間も無く現れるのを
私は知っている。
きっと自分は一人なんだろうけど、
頭のエンジンの比重を高くして存在する自分と
感情のエンジンの比重を高くして存在する自分の
そんな比重の異なる自分が存在するらしい。
と、
ゴチャゴチャ書いてみた。
愛犬の姿を見た。
涙は出なかった。