(しかも新聞記者さんが、永倉様から話を聞いて書いたものだから、)

 

 記者の方が読者に読ませるために盛り足した文章であることは否めず、

 そもそも永倉の直筆の報国記事と比較すると、池田屋内部での、配置から、事の時系列まで一致していない。

 

 勿論、肺病による喀血云々に至っては、どちらにも記載は無い。

 

 

 (そういえば、あまたある当時の記録の中で、moomoo review 沖田様が戦線離脱したと記録しているのは、永倉様だけなんだっけ・・それも、後世に誤解を生む元となった「病気にて」の言葉付きで・・・)

 

 続く史料・資料も、永倉の書の写本を保持していた永倉の知己が書いたものであったり、永倉の遺した話をそのまま転用したり参考にしたものだ。

 

 近藤の遺した書簡には、勿論、記録は無い。

 

 

 (でも、もし永倉様のご記憶違いの場合、何故そんなことが・・・?)

 

 

 「闘いのさなか、永倉様と会いました・・?」

 冬乃は聞いてみた。

 

 「永倉さん?」

 沖田が一瞬、記憶を探るような表情をし。

 「いや、会ってないね」

 「永倉さんは俺と一階を持ちまわってたから、沖田と会うはずないよ」

 藤堂が答えて。

 「そういえば、近藤さんまで早々に一階に来たし、沖田ひとりで二階大変だったんじゃない?」 「そうでもなかった」

 沖田が例によって飄々と返した。

 「結構な数があっというまに飛び降りてったから、残り程度、俺ひとりで充分だったよ。屋根伝おうとしたのか、わざわざ戻ってくる奴はいたが」

 

 「・・・言ってくれるよね、あいかわらず」

 「何。おまえだって何人も相手に大立ち回りしてたんだろ」

 「ああそうだね、しかも、ときどき人ふってくるの避けながらねっ。そう考えるとなんか俺すごくない?」

 

 もはや苦笑いで沖田に抗議している藤堂の前で、沖田がうんうんと返しつつ何度目かわからないあくびをしている。

 

 そんなあくびの中途で、ふと思い出したらしく沖田が、

 「ああ、・・そういや土方さん達が来た後、永倉さんと井上さんが廊下を駆けてゆくのは見たな。俺が浪士ども縛って廻ってた時。二人はこっちに気づいてなかったが」

 まあ二階座敷の奥は暗かったからね

 と言い足し。

 

 「俺、会所でも永倉さん見たよ。俺が会所で手当て受けてた時、沖田が寝に来た後くらいに。永倉さんは親指の手当に来たんじゃない?」

 

 (え)

 「手当って、藤堂さ・・さんは、どちらを怪我されたんですか」

 額は無事なはずだ。

 慌てた冬乃に、 「たいしたことないよ。少し肩先をね」

 きっと冬乃ちゃんの“お願い”のおかげで、これで済んだのかな?

 と藤堂が微笑って。

 

 冬乃は、ほっと息をつきながら。

 

 

 (じゃあ、・・もし後世の改ざんとかでもなくて、永倉様の記憶違いだった場合の原因は、おそらく・・)

 

 志士達が飛び降りてきた混乱の直後から先、沖田と顔を合わせなかった記憶に、

 

 のちの沖田の病の強烈な記憶と、

 

 そして或いは、沖田がある時点で会所に居た記憶とが重なって、混合されたのではないか。

 

 

 まして死闘のさなかだ。少なくても十五人程はいたといわれる敵数に対して、屋内に入った近藤達はたった四人。

 

 誰もが目の前の敵で精一杯だった中で、正確に全てを記憶しているほうが難しい。

 

 

 

 「あーそうそう沖田、刀どうだった?無事?」

 藤堂が急に思い出した様子で沖田に尋ねた。

 

 「いや。ここぞと突きばっかやってたら、最後のほうで、切っ先が折れた」

 しょうがないからそのままで使ったが

 と、沖田がその場で大刀を抜いてみせ。

 

 「ほんとだ、これならまあ使えるね」

 藤堂が覗きこんで感想する。