今朝 フェイスブックのシェアでこんなブログをみた。
悲惨な写真をSNSに平然とシェアする人間に戦争を語る資格はない
http://kasakoblog.exblog.jp/22198545/
なかなか考えさせられるものだった。
自分は今年から被爆伝承者活動の勉強をはじめ
そういった悲惨な事実を伝えることをやっていくからだ。
先日参加した朝の会の抗議(?)の中に
“目標を達成するためには目的が大事”とありました。
そのことに当てはめるなら
目的は
次の世代のため
目標が
“今”が当たり前ではないことを伝えたい
となる。
当たり前でないことを伝えるとはどうするか?
当たり前じゃない現実と比較させることが一番わかりやすいはず。
そしてもっとわかりやすくするならば写真や映像だろう。
しかし、今回見たブログ主が言うような
見たい人だけが見れるように配慮や気遣いをした環境というもので
どの程度の人間がその写真の事実を現実と受け止め
自分の環境と比較できるのだろうか?
受け止めれる人間はそれを見てしっかり比較できるだろう。
では、グロいのが嫌な人や悲惨な状況を見たくない人は?
その“現実”にフタをして、ぬるま湯の情報で比較するのでは?
まぁ、ネット上にあげた人がブログ主の考えるような
見せることを目的としている人や自分なりの正義を掲げてる人なら
興味がある人だけ覚悟のある人だけ見れるようにしたほうがいい。
しかし、目的が
事実を知らせるためだったり助けを求めるためなら
【閲覧注意】なんてのは何か違う気がする。
“写真を見せる”ことが目的ではなく
“事実を知らせる”ことが目的なんだろうから。
惨劇に写る人達は興味があったわけでもないし
覚悟なり心構えがあってそこに横たわっているわけではないはずだ。
そういう意味では
“突然自分にふりかかった悲劇”という現実を知ってもらうために
“突然見ることになった惨劇の写真”という状況は
とてつもなく印象に残り
『こうやって突然目の当たりにする現実なんだよな。』と思い
今の環境が恵まれていることを感じられる
きっかけになるかもしれない。
でも、現実はPTAやらなんやらの要望だったり
平和で豊かな生活している人達の拒否で
企業・運営側はフィルターをかけるんだろうな。
そう思うと自分の描くモノは難しいだろうなぁ~と改めて思う
今日この頃なのでした~