事件から一ヶ月経って
先月このブログを誕生日に公開しました。遅れていた看板と一緒に公開しようと思って、5/27日に公開範囲を解放しました。その翌日川崎であの事件が起きました。犯人よりも遥か前に父の会社に凶器を持って通いました。やれるもんならやってみろ。父は幼少期からオレをよく挑発した。すごく悔しかった。時々親を殺して逮捕される子供いますね。あれ気持ちすごく良くわかるんです。どうしようもない尽きない怒りが湧いて来るんです。搾取され続けそれしか選択肢がなくなってしまう。父と鉢合わせたらまかり間違えば刺すかもしれないと思っていたけど、当人を目の前にそれは出来なかった。憎い人にすら人間はそう簡単には狂い切れません。最後は父は警察を伴って家に突入して来た。犯人はそんな簡単に躊躇なくなんの恨みもない見知らぬ子どもを刺し殺せるでしょうかね。初めはとても出来なかったんではないかと思いますよ。オレと同じように何度か現場に行ってみたものの実行出来ないで家に引き返していたんではないでしょうかね。出来なくて帰宅後狂いきれなかった自分の不甲斐なさを責めて、自己嫌悪して、また行く。孤独が長い時間をかけて少しずつ人を狂わせていくんだと思います。母もおれを産んだ時、おまえなんか産まなければ良かったなんて思わなかったと思うんですね。でも、昔から人との争いが絶えなくて、最終的にわたしは人が嫌いだから一人がいいのよと言って自分を周囲から隔離して田舎に引っ込んでしまった。そして20年後再会した時は持ち前の攻撃性ばかりが増して信じられないような浅ましい口調になったり、おまえなんか産むんじゃなかったと平然と言えるようになってしまったと思うんですね。うるさい、めんどくさい。関わりたくない。周りは昔からそうでした。今も。だから自分一人で決めるしかない。一人で死ぬなって言わないでって、今さらなにを言ってるんだろうて思う。一人で死ぬしかないんです。昔からそうだ。問題は決心出来るかどうかだけだ。事件が起こったから慌てて直そうとするのは違うと思いますね。そうすると事件を起こした方が意見を聞き入れてもらえちゃうことになりますよ。それって正しいんでしょうか。