今日、朝起きてリビングへ行くとテレビの前に種が落ちていた。


拾ってみると、それはどう見てもかぼちゃの種。


なぜだ。


最近、かぼちゃを食べていない。


なのになぜだ。



時々こういう意味不明なプチ置物事件がある。


前にも


ある日、裏口の戸を開けたら鳥の骨らしき物が2~3本重ねてあった。とか


玄関におもちゃが置いてあった。とか

(新品で箱に入っていたので明らかに誰かからのプレゼントではないかと勝手に思う)



そういえば・・・・



少し前に、お店の駐車場に切断された鶏の足だけが大量に発見されるという大事件もあった。


あれはいったい・・・


もし!あれが何かの合図だとしたら!と勝手に仮説をたてて盛り上がっていると、


マスターが小さな声で「嫌がらせだんべー」と言っていた。。。。(´д`lll) がーん





これだけ休んでいると


お店に行くのが嫌になる。


行き方とか・・・忘れたし・・・



行ってみれば


また楽しくなると分かっていても


行きたくない。


誰かと話せば楽しいと


分かっているけど


誰とも話したくない。



もっと


ずっと


ひとりでいたい。


ひとりは淋しいけど


ひとりが好き




もし、サラサラの髪だったら


とか


もう少し若かったら


とか


自分のことを考えると


やっぱり


そうなんだと思う。





結末がことの終わりということ





逃げているのか


向かっているのかさえ


分かってはいない。




そのスピードも・・・










仕事を休んで最初の1週間は自分だけ取り残されているようで不安だった。
しかし、次の週は楽だった。ひとりが好きな自分に戻った。

猫の通り道でぼんやりとまちぶせする。そんな時に限って猫はなかなか通らない。
もし猫が通った時のためにねこじゃらしを見つけに行く。
しかし、よく見かけるねこじゃらしは見つからない。
そんなもの。。。
猫には会えずとぼとぼと家に帰る。帰ると言っても数メートルの距離です。

家では、六感を刺激する音を探す。
音が見つかると繰り返し聞いてどんどん重ねていく、たまに転調してみる。
そうして自分の殻を作り出して、篭る。
脳内をぐるぐると駆け回り心地よい場所を見つける。
知っている人にも会うが、知らない人にも出会う。
どう声をかけようが何を話そうが自由。すべて脳内だからすべて自由。
なんて素敵な世界。すばらしい脳内。
記憶をたどっていくのに似ているが、記憶ではない。
それは新しい、まったくありえない自由な記憶として脳内に残る。
時々、覗いてみないと自由な記憶は消えてしまう。
だから時々、殻に篭る。そうして、ひとりが好きになる。


この自由な記憶を分けてあげたい人がいる。だけど色や光をどう説明したらいいだろう。
このすべてを誰とも分かち合えないと思うとき、
誰かと一緒に同じ殻に篭ることは不可能だと気づくとき。
すばらしい世界は急に悲しい世界に変わっていく。

だからやっぱりひとりでいいと・・・脳内の旅をつづける。

ふたつの世界のバランスを保つのは難しい。
天国と地獄ほど違うのだから、好き好んで地獄に戻ってこようとは思わない。
呼ばれて仕方なく戻って行く。
「またすぐに戻ってくるから」と言い残して。


だからと言って、現実に地獄のような世界に住んでいるかというとそうではない。
それは、それなりにいいこともあり、楽しいこともある。
ただ、自由な記憶の中では終わりはあっても、ひどく傷つけられることは決してない。
そして、自由な記憶の中は胸が痛くなるほど清らかで美しい。
涙がこみあげてくるほどの真実。






胸が痛くなるほど清らかで美しい真実。




ただ儚い。