私が教会員になる前、



この地上のものの、基盤はすべて、


神様がお造りになったということ、


知らなかったから、




人の体も、


神様がお造りになったということを


知らなかったから、




自分の持ち物はもちろん、

自分の体は、自分のものであると思っていた。





このような観念だと、


当然、自分の体も自分の人生も、

自分の思い通りで

(神様のみこころにそぐわないことでも)

いいんだ、


って思ってしまう。





モーサヤ書では、


その観念を覆す御言葉が次々と書かれてあり、

ただただ、驚くばかりだったひらめき電球




・モーサヤ2:20-25



「たとえあなたがたが全身全霊の力を尽くして

一切の感謝と賛美をささげたとしても、


・・・・・・あなたがたが自分の意のままに

生きて動き、行動できるように


あなたがたにを与えて日々守り、

いかなる瞬間にもあなたがたを

支えてくださっている御方に、


たとえ全身全霊を尽くして仕えたとしても、

それでもなお、あなたがたはふつつかな僕である。


・・・・神があなたがたに要求しておられるのは、

神の戒めを守ることだけである。


・・・・神はあなたがたを造り、

あなたがたにを与えられた。


・・・・あなたがたは今も神に恩を受けているし、

これからもとこしえにいつまでも恩を受けるであろう。

だから、あなたがたに

何か自慢できるものがあるだろうか。


・・・・あなたがたは

大地のちりに等しい存在であるとさえ

いうことができない。

あなたがたは大地のちりから造られたが、

見よ、そのちりは、

あなたがたを造られた御方のものである。」




他の聖句で、


大地のちりは、造り主の意のままに動いて従うが、

私たち人間は罪を犯すし、

善いことだとわかっていてもやらないし、

主に完全に従順ではないから

大地のちりよりも劣っている、というような言葉がある。




はじめは、


大地のちりよりもわたしたちは劣ってる?


って、にわかに思えなかったが、


自分の習性、人の習性、世の中の習性、

よくよく考えてみると、



なるほど、


本当に聖文の言うとおりだな


って、思うチューリップオレンジ