新会員のとき、

 

この道が、細くて狭い道だったなんて、

 

わからなかった。

 

 

 

 

なんで世の人々は、

 

「真理」を知りたいって思わないのかなって。。

 

 

 

 

その人それぞれに

 

時(とき)、タイミングがあるんだけどね、、

 

もっと、教会員、いてもいいんじゃないかなって。。

 

 

 

 

 

ⅡNe31/17-20

 

 

 

「人は、生ける髪の御子の模範に倣って、

最後まで耐え忍ばなければ救われないことが分かる。

 

・・・・あなたがたが入らなければならない門とは、

悔い改めと、水によるバプテスマである。

そうすれば、火と聖霊によって罪の赦しが与えられる。

 

そのとき、あなたがたは、

永遠の命に至る細くて狭い道にいることになる。

 

・・・・・あなたがたはこの細くて狭い道に入ったならば、

それですべて終わりであろうか。

 

見よ、私はそうではないと言う。

 

もしキリストを信じる確固とした信仰をもって

キリストの言葉に従い、

人を救う力を備えておられるこの御方の功徳に

ひたすら頼らなかったならば、あなたがたは、

ここまで進んで来ることさえできなかったからである。

 

したがって、あなたがたはこれからも

キリストを確固として信じ、完全な希望の輝きを持ち、

神とすべての人を愛して力強く進まなければならない。

 

そして、キリストの言葉をよく味わいながら力強く進み、

最後まで耐え忍ぶならば、見よ、御父は、

あなたがたは永遠の命を受ける と言われる」

 

 

 

 

 

わたしがバプテスマ受ける前の求道者のときや、

それ以前、

 

 

 

宗教は、

神さまにすがりたい人、心の弱い人、

他力本願の人が求めるものかな、と思うことがあった。

 

 

現在、無宗教の人で、

そう思ってる人、多いと思う。

 

 

 

 

ところがどっこい、

 

バプテスマ受けて20年以上が経つ今、

 

この教会には、その概念は当てはまらない、

 

ということがわかる。

 

 

 

 

 

この細くて狭い道

 

 

 

他力本願じゃ、やってけない。。あせる

 

 

 

ただすがってるだけじゃ、祝福来ないし。

(ふさわしさ、主への信頼が必要)

 

 

 

ある意味気が強くなきゃ、やってけないッ。。

 

 

 

 

 

自分の標準を、(自分の信念を曲げて)

世の中に合わせて迎合していったほうが、

 

よっぽどラクだもん。

 

 

 

 

でもね、

 

ラク、というのと、楽しい、は、

 

また別なのよひらめき電球

 

 

 

 

 

私という人間は、どうありたいのか。

 

私がどう歩むことを主は望んでらっしゃるのか。

 

 

 

 

こっちを大事にしていったほうが、

 

自分が自分らしくいられて、地味に楽しい。。チューリップオレンジ