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【頭を下げる人】
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東日本大震災で尊い命を奪われた方々の
ご冥福をお祈りするとともに
現在、厳しい環境と戦われていう皆様が
一日でも早く笑顔を取り戻せるようにと
心から願っています。
pppppppppppppppppppppppppppp
先日、テレビを見ていたら
電力会社の人達が、
避難所にいる人達に
お詫びをしている様子が放送されていました。
作業服を着て、正座をし、深々と頭を下げる
電力会社の社員の方に対し
怒りをあらわにして
「対応がなっていない」と怒鳴る人
涙ながらに
「早く家に返してほしい」と訴える人
等などの映像に混じって
深々と頭を下げた社員の人達に対し
同じように頭を下げて対応する
人の映像が流れた時
なんだかとってホットするする気持ちに
なりながら、
今から30年前の出来事を思いだしました。
1981年10月、夕張で日本最大の炭鉱事故がありました。
北炭夕張新炭鉱ガス突出事故
最終的な死者は93人で、炭鉱事故としては、1963年
の三井三池三川炭鉱炭じん爆発
(福岡県
大牟田市
)の458人、1965年の三井山野炭鉱
(福岡県嘉穂郡
稲築町
(現在の嘉麻市
))ガス爆発事故の237人に次ぐ、戦後3番目の大惨事ででした。
※事故参照
このとき、私は大学生で
東京にいて友人とテレビを見ていました。
テレビ画面には、現場映像が映り
次に会社幹部と保安責任者が頭を下げる
おなじみの記者会見のシーンが
映し出されました。
一緒に見ていた友達が言いました。
「こんな時、偉い人はカメラに向かって
頭を下げるだけで、なんにもしないんだよな」
横にいる私は何も言えませんでした。
テレビに映っていたのは
私の父の同僚でした。
その時私の父は、事故の救援隊の隊長として
現場で指揮を取っていました。
なくなった方たちの多くは、父の部下であり
友達の父親でした。
もしかしたら、テレビの中で頭を下げているのは
私の父だったかも知れなかったのです。
この事故は、最初のガス突出事故発生の後に
救援に入った人達が爆発で返らぬ人となった
悲しい事故でした
この救援隊のトップが私の父でした。
父は、一番最初に事故現場に入り
これ以上入ると危ないという判断の基に
戻ってきたのですが、
父が戻る前に、
第2次部隊として坑内に入った人達が
爆発にやられてしまったそうです。
父はその後2週間以上家には帰ってこれず、
遺体を回収する為、坑内火災の消火のため
坑内に水を注入するという
苦渋の決断を迫られる立場だったようですが
今でも事故の話は、あまりしたがりません。
去年のお正月、亡くなった母の弟である叔父から
こんな話を聞きました。
事故の時、
私の母は札幌に住む叔父を夕張に呼びだし
現場にいる父の替わりに
遺体が上がってきた方々の家を
一軒一軒、頭を下げてお悔やみに回った
当時は母、体を壊し週3回の人工透析をしており
とても普通の状態ではなかったのですが
気丈に立ち振る舞っていたそうです。
その母が亡くなったのは
事故から10年ほどたった平成4年のことでした。
「お前のお袋はすごい人だったぞ」
叔父は、遠くを見るように話してくれました。
すこし、話がずれてしまいました。
償っても償いきれない罪があります。
それに対して
心から、頭を下げている人がいます。
やりきれない思いを
誰かにぶつけたい!
当たり前の気持ちです。
でも、深々と頭を下げる人達に
同じくらい頭を下げて
「悪いのはあなたたちではない」
といえる人がいます。
「怒鳴られる」ことで
相手の気持ちが少しでも軽くなるなら
と言う思いで頭を下げ続ける人達にとっては
もしかしたら
怒鳴られるより
自分たちと同じように頭を下げられるほうが
辛いかもしれません
しかし、頭を下げる人に
思いやりの言葉をかけてくれる人がいることが
すべての人の心にあかりを運んでくれるような気がします。
誰もが、悲しみと怒りに包まれている時に
「相手を思いやる心」を持てる人になれる人がいるかぎり
日本は必ず立ち直ることが出来る
そんなことを思ってしまうのは私だけでしょうか
震災立ち向かっている人達から
私達は、いろんなことを学び
そして、勇気を与えていただいている
真摯に受け止めなくてはいけないと思います。
他人は変えられない
変えられるのは自分だけ
だから、「人のせいにしない」
これは私がことあるごとに
自分に言い聞かせている言葉ですが
果たして自分が、究極の逆境に陥った時
どこまでそれを貫けるか
自信はありませんが
逆境の時
自分の子供たちにとって
頼りになる父親でいられるために
常に自分を磨かなくては
おじさんの挑戦は
まだまだ続きます。
では、また来週!