江戸川大学社会学部 篠田卓馬
はじめに
2010年6月10日に東京芸術劇場にて、原研哉さんをゲストに「Emptiness―受容する環境」をテーマに、「日本の価値」と日本文化の根源である「空」について、そして「空をビジネスに利用する」についてお話を聞いた。
1.「日本の価値」
かつて日本は世界の工場として精密、ロープライスを売りに他国へ輸出を行い、戦後の復興をしてきた。しかし現在東アジア全域が工場と化し、日本は人口減少と産業の海外流出に伴い、世界での影響力を落としてきている。その状況の中で日本の価値を見直し、観光立国として生き残ろうとする動きが出てきている。
暮らしのへそ
高度経済成長期から日本は量産化の時代に入り、現在、家には生活に必要でないもので溢れかえっている。そのため「暮らしのへそ」が見えない状態になってしまった。
「暮らしのへそ」とはその人が持っている価値観のことである。たとえば料理好きならばキッチンの大きい家を理想の家とすればよいはずである。しかし家は量産品のように全国ほとんど同じである。それをデザインし多様化する上で「共通の美意識」が必要であると語っていただいた。戦前の日本が持っていた、出しては、しまって、という簡素な暮らしにこそ、このヒントがあるのではないだろうか。
おもてなしの心
日本は単一国家として1000年以上の歴史がある。そのため世界で生活への欲求を比べるとすると、EUぐらいしか肩を並べられる地域は無いのである。(中国は何度も国が変わっている。)
ゆえに日本が求めるサービス「おもてなしの心」は、西欧式ホテルのホスピタリティと同等の価値がある。しかし、「おもてなしの心」は世界の中でまだまだローカルな存在であり、細かい気配りなどの文化を他国の病院等で使えるものとして、日本を損なわない世界化が求められている。
2.「空について」
日本は1つの国として1000年以上の文化が形成され、極東の国としてユーラシア大陸中の文化が日本に影響を与えてきた。日本はその多様化に対抗する手段として、何もないところから想像力により全てを生み出す、という「空(Emptiness)」の文化を産み出した。
社における空の在り方
古来、日本は自然の力を神として崇めた。自然(神)は様々な知恵を授けてくれる存在として、常に自分の周りを包括するように存在しているのである。
4つの柱の間にそれぞれ紐をつなぎ空間(代)を作る。それにより、中の空間には神が宿っているかもしれないという可能性、恐れと期待が生まれるわけである。この代に屋(根)乗せることで社(やしろ)として、神のいる(かもしれない)ところを指すのである。
人々はこの可能性の場(空)に手を合わし、祈りを込めた。さい銭箱も中身は「空」であり、人々は祈りと同じように、金を入れたくなるのである。
西欧のシンプル
西欧には、「空」に似た「シンプル」という考え方がある。
もともと、世界は複雑から始まり、「シンプル」に移り変わっていっている。ファラオの装飾品や、宗教画などを見ればわかるように非常に細かく作られている。それは王の絶対的な権力、力を表すために必要なことで、そのため技術力を競いあっていたのである。
しかし現在、王から民へと政治形態が移り変わり、不必要な装飾は外され、「いかに人が生きていくか」という考え方で、人と対象物を最短距離で結び付ける「合理化」が重視されている。シンプルとは、その目的を達成するのに一番短い距離を突き抜ける、一点特化のことである。
日本の空
日本の「空」の文化の誕生は、室町幕府が崩れ、戦国時代の始まるきっかけとなった、応仁の乱にさかのぼる。京の都が10年にもわたり焼かれ、何もない状態になった時、「究極のプレーン」こそ、他国の「豪華さ」を有する文化、に対立する考えだとして、その後の茶道や伝統工芸などへと展開していった。
日本における阿吽の呼吸、”あれ”の件なんだけどさ、という、主語の省略によるコミュニケーションや、日本の国旗が戦時中、国民と外国で意味が違っていたように、これら内包する意味が多義的なものはすべて「空」である。
3.現在の空の在り方
「無印良品」は原研哉さんがデザインしたものである。これはだれもが様々な場面で使える、という、多義的な価値をもつ商品として考案されたもので、「空」の概念をビジネスとして用いた物である。
「シンプル」をコンセプトにして作った商品は、その使い方においての、使い勝手の良さを追求したものであり、他の場面での使用を考えていない。
「無印良品」はこちらからなにが良いのかというメッセージを出さず、お客が勝手にイメージして買っていく。実は、何の変哲もない、自然とこうなってしまった、というイメージを持たせる商品を作り出すことは大変難しく、そしてこうした商品は強いメッセージ性を持っているのである。
感想
私は仏閣とか神社が好きでたまに散歩をしに行く。なんとなく空気が違うな、というのは祖先から受け継いできた体の感覚のせいだろうか。たぶん全てを受容する「空」を感じているのかもしれない。また気分を落ち着かせたい時は行こうと思う。
原研哉さんの話を聴いて特に面白いなと思ったことは、「本当にいいところは闇に隠れていたほうがいい」という話であった。それはセールスポイントの押し付けではなく、気づいたものに対して、ゆったりと問いかけるようなものである。今、町を歩いていると、どこも自社のよいところを宣伝してばかりであり、しかも売っているものも似たようなものばかりで面白みがない。これでは町を歩いていてもただ疲れるだけで、町に愛着が湧くはずがない。
私は他の人に対して自分の意見を押し付けるだけでなく、ときには相手を傷つけるようなことも平気でしてしまう。だからこそ、自分の気持ちに対して敏感になり、相手の見えない部分を大切にしながら行動しようと思う。