江戸川大学社会学部ライフデザイン学科3年 駄賃場 桃子

 

 テーマ「ごはんをデザインする、ということ」~食のブランディングの現場から~

 

 奥村文絵さん

フードディレクター、フーデリコ株式会社代表取締役

1971年東京生まれ。1994年早稲田大学卒業。東京デザインセンター勤務を経て、フードコーディネーターの道へ。2008年に「食専門のクリエイティブ‐ディレクション」を手がけるフーデリコ株式会社を設立。ブランドコンセプトの開発と食材の掘り起こし、商品開発、パッケージ、空間、広告、販促、ツール制作などをトータルに導く手法で、日本の食のブランディングを行う。また、食べることをインスタレーションと捉えたイベントやケータリングも行っている。

 

 奥村文絵さんと遊佐町

山形県遊佐町の若い稲作農家の方たちは、稲作農家の厳しい現状を打開しようと、プリンセスサリーやオオチカラ、タイ米など新しい米を作っていた。また、在来種である彦太郎糯の復活も広めたいと考えていた。遊佐町は、山と海があり、偏西風が吹き、日差しもあり、雪があまり積もらないなど、ヨーロッパの気候によく似ている。そのため、パプリカや紅花など西洋野菜がよく作られている。そこで、その野菜と新しいお米を繋ぎ合わせ、パエリヤを作ろうと考え、奥村さんが呼ばれた。

しかし、まちのみんなはパエリヤをあまり食べたことがなく、よく知らなかった。奥村さんは、遊佐町を訪れ、宝物がたくさん転がっているのにわざわざ遠い国の料理を作ろうとするのはなぜだろうと感じながらも、その気持ちもわかるし事例もあると思った。

奥村さんはまず、町の食をもう一度見直そうと呼びかけた。初年度はまず、考え方を整理し、遊佐でしか食べられない食事、遊佐らしいおもてなしを「遊佐ごはん」と名づけた。

さらに彦太郎餅を売るための紅白餅のパッケージにもこだわった。パッケージは紙でできており、あまり綺麗にしすぎないという、親しみが持てる見た目や手触りにした。

 

 遊佐ごはん

 遊佐町は、砂糖以外のものはまかなえるほど自給率が高い。奥村さんは、そんな町の名前に「遊」とつくくらいだから、ワクワクした遊び心を加えなくてはと考えた。そこで、遊佐町を広めるためのパンフレットを「遊佐いろは」という形で作った。基本の48コンテンツを小冊化し、基本情報(概要説明)とサブ情報(補足)を掲載した。カードは他の関連コンテンツのカードとリンクさせ、そのリンクを追うことで「遊佐ごはん」全体や循環を理解してもらおうとした。また写真やイラストを使用し、情報の理解を助ける。小冊子の包み紙には食マップを使用し、地図にイラストを加え、食環境を視覚的に捉えられるようにした。また小冊子の形は庄内平野の最北端にある鳥海山にした。さらには包み紙に切手を貼る場所を設け、広い範囲の宣伝にも繋げた。

 

遊佐のその後

奥村さんは、とても良いものができたと思っていたが、この企画を終えて地元の農家の方と居酒屋に言った際、彼らの本心を聞いた。「彦太郎糯ができて、逆に苦労しているんだ。」「生活は正直苦しくなっているんだ。」と言われたのだった。彦太郎糯のパッケージの箱を折って組み立てているのは彼らで、農作業と平行して行わなければなかった。水車を最初に回すには大変な労力がいる。クリエイティブチームはデザインをプレゼントすることはできるが、実際に実行し継続していくのは地元の人たちだ。この頑張りに見合う報酬が受けられていない。このままでは継続することは難しい。継続できる仕組みが必要だ。

 

 感想

 田舎の町の良さを見つけやすいのは、都会で育った人なのではないかと思った。田舎で育った人は、それが当たり前のことだと思ってしまう。また、そこに住んでいる人は自分の町のここが素晴らしいとかこれはうちにしかないぞ、とは考えにくい。むしろ、どこにでもあるものじゃないの?と考えてしまう。そこで、外から来た奥村さんのような人の役割は大きいと思った。

 しかし、アイディアをあげることはできるが実際に行うのはまちの人々だし、苦労するのも地元の人々だ。結局は大変になるのは自分たちだ。単にイベントになってしまうのではなく、継続されることで町に定着したものとなる。お金もつくりださなくてはならない。彦太郎糯も、昨年より値段が上がるという。そうして、農家の方にも利益が渡り、ブランドとして確立されていけばと思う。

 「遊佐いろは」はとても面白いと思った。ぜひ熟読したい。