江戸川大学社会学部3年 駄賃場 桃子

 今回は、岩手県遠野市からお越しいただいた、有限会社多田自然農場代表取締役舎長、多田克彦自然派ネットワーク代表の多田克彦さんにお話を聞いた。
■公務員時代に酪農を始める
 多田さんは、農業を始める前は市役所で働いていた。しかし、山の中にずっと居るのかと考えると嫌になり、一日で辞めて東京へ出てしまった。しかしまた戻り、市役所に勤め始めた。その頃は減反政策がおこなわれており、野菜を栽培する補助事業がおこなわれていた。ビニールハウスを一棟建てるのに半分補助金を出すというものだ。遠野では、ほうれん草の栽培がすすめられていた。しかし、まじめにつくっていると3年経つとほうれん草の芽が出ても育たなくなるという問題が発生した。これは、土が多糖化し病気が発生したためであった。そのため、畑は藁置き場と化した。多田さんは、役所でこのやり方ではだめだと言っているうちに、自分でやってみろと言われるようになった。そこで、農業を趣味でやり始めた。5時30分に起床し、仕事は定時になるとすぐに帰宅し、飲み会にも参加せずに農業に没頭した。そして貯金を続け、会社の電話を使用し株もおこなった。さらにボーナスを貰うたびに牛を一頭買った。それを続けるうちに、農業は儲かるということに気が付いた。そして、農業の会社をつくるという夢を抱くようになった。
■市役所を辞めて農業をはじめる
 そんな中、28歳のときにサウジアラビアの農業の会社に派遣された。その頃の中近東の使命は、食料自給率100%を目指しており、多田さんの仕事は、国民が飲む牛乳の搾乳を農業者に教えるというものだった。その仕事をしていたおかげで、美智子様が会いたいと言われ、皇居に呼ばれお話をしたこともあったという。
 また、知人の選挙応援もしたこともあった。しかし、市民や仕事場の上役から公務員なのに選挙応援を行うことは問題があると反対され、落選したら辞めるとまで言ったのに落選してしまい、左遷されてしまった。そこでは3年間、農業経済書を読み、勉強を続けた。そして33歳のとき、親や家族にも言わず市役所を辞めてしまった。
 そして、ついにビニールハウスを15棟建て、農業を始め、ほうれん草を栽培した。しかし土地改良というものを全くわかっておらず、芽が出ても成長しないという問題が発生した。日本の土壌は酸性であるため、ph不足によるものだった。しかしながら、広い畑の中から、20束の立派なフランス種のほうれん草ができた。それをスーパーに持っていったところ、フランス種のほうれん草は農協が奨励していないし、量が少ないので買うことはできないと言われてしまった。それを友人に話すと、東京のスーパーでは売れると聞き、送ってみた。しかし返事が来ない。そして1週間後、おそるおそる電話をしてみると驚きの答えが返ってきた。なんと、1週間経っても萎びることなく立派なままだったのだ。痛み易いほうれん草が日持ちしていたのだ。これに感動したスーパー側は、ぜひまた送ってくれと申し出た。 しかしほうれん草は手元にはなく、ほうれん草の栽培方法がわからない中、多田さんは嘘を思いついた。「現在全国で人気沸騰中でして少しお待ちいただいております。」ほうれん草は40日間で栽培でき、年に5回採れる。多田さんは必死でつくった。そこで産地直送というものを始めた。スーパーで働く友人とその東京のスーパーに出向き、価格のやりとりをした。しかし寒くなっていくにつれ、冬になると野菜は採れないことに気が付いた。
■人間は失敗するもの
 多田さんは牛を飼い、牛乳を販売することにした。自分の生命保険を担保にされ、借金をして北海道から少々問題のある(気性が荒いだとか)牛を200頭買った。問題がある牛は価格が安いのである。牛乳の販売にも課題が出た。冬の東北自動車道は雪のためスムーズに走ることができないので、東京のスーパーの搬入の時間に間に合わないことで、牛乳を廃棄した。ここでスーパーとのやりとりの難しさを経験した。他にも、ハンバーグを売るために色々注文をつけられて、そのうちにハンバーグがダメになったことや、容量が表記より1gでも少ないと置いてもらえなかったことがあったという。しかしどんなに腹が立っても従業員を責めることはしなかった。「人間というものは失敗するもの」で、失敗は悪いことではなく、その失敗を考えたうえで働くことが重要なのである。失敗は成長への一歩と考えるのだ。多田さんはこのことを、トヨタから学んだそうだ。
■多田さんの魅力は絶対にあきらめずに挑戦すること
 多田さんは、どんな問題が起きるかは経験しなければわからないと言っていた。色んな経験を伺って、なるほどと感じた一言だった。そして勉強家だと思った。夢のためにほぼ独学でやってきた。なによりも勇気や行動力がある。どうしてそこまで頑張れるのかと思った。多田さんのお話は普通の人はなかなか経験しないことばかりで、大勢の人が見るこのレポートには書けないことが多かったが、それもまた魅力的だった。たくさんのパンやプリンもとてもおいしかった。
                                             ありがとうございました。