8日と9日の2日間

弔事休暇で休ませてもらいました。

理由は表題のとおりです。

 

88歳まで頑張ってきましたが

ここ数年は足腰が痛みだして

杖の助けを借りての歩行、

今年初めごろからは歩行器に

頼るようなり横で見ていても

痛々しさが伝わってきました。

服用していた薬の副作用か

日中は眠気に襲われウトウト、

とうぜん夜は眠れません。

その影響で食欲も落ちて

3日に一度の点滴で栄養補給の

日々が続いていました。

稲刈りの手伝いに行った際は

顔面蒼白、ベッドやソファ-の

乗り降りも介助が無ければ

全く出来ない状態でした。

この時点で周囲の者は

覚悟が出来ていました。

 

その後、誤嚥性肺炎で入院、

その症状も収まり他の病気は

これといって無かったので

病院からは自宅療養もしくは

介護施設への転院を勧められ

ちょうど空きがあった施設へ

入りました。

施設に入ったのは6日の午前、

その日の夜に容体が急変

心肺停止の状態で緊急搬送

そのまま病院で息を引き取りました。

高校を出てからは家業の

農業に従事、米や野菜全般の

生産にずっと携わってきました。

理論と実践、豊富な経験値に

結婚してからどのくらい助けられたか

分かりません。

農業の達人でした。

 

葬儀は家族葬で行い

都会に出て行った孫たちも

子供を連れて参列、

孫6人ひ孫が7人

上は小4で下は3歳

臨時の小学校&幼稚園状態で

大人たちの悲しさや寂しさを

ちびっ子たちの賑やかさが

吹き飛ばしてくれました。

ちなみにひ孫7人は全員女の子

不思議です。

 

数年前からそろそろお迎えか?

「人間、いつかはお迎えが来るね

 明日自分たちかもしれないさ」

みんなでそんな話もして

覚悟はできていましたが

いざその日を迎えたら

胸の中に大きな穴があいた

状態です。

 

我が家の

次男嫁は都会生まれ都会育ち

「都会のお葬式は形ばかりで

 冷たい、今日のお葬式は

 賑やかく暖かで良かったね」

彼女の感想が印象的でした。