震災のあった3月11日金曜日、13時から浜松町の文化放送で「アニメロサマーライブ」の記者発表会があって。毎年それを取材しに行くのを楽しみにしてたんだけど、今年だけなぜか時間を14時からだって勘違いしてて…。ハッと気付いたときには、自宅ですでに12時36分。遅れてでも行くかどうか迷った末、ニコ生やるのでそれ見て取材したことにしようと決断。
結局それが14時ごろまであって、その後16時のアポイントに向けて家を出たんですけど。家を出て1~2分歩いたところで物凄い揺れ!!! 最初はイヤホンで音楽聴いてたから何が起こったのか分からなかったんだけど、あわてて外すと信号機がガタガタ言いながら揺れてて、立ってるのがやっとの状態。
2~3分くらい揺れてたかな。とりあえず一番最初にしたことは、まだ揺れてる最中だったけど親に「大丈夫やけん!」とだけメール。揺れが収まってから走って家に戻ったら、下駄箱の上に積んであった音楽誌のバックナンバーが崩れ落ちてて、玄関から中に入れない!

けどまあそこは引っ張り出して入って行ったら、無造作に積んであってすでにもうグラグラしてたCDたちが完全に崩壊してて。床も廊下も全部ふさいで、空中に足場を見つけて移動しないと向こうにたどり着けない状態…。

(↑右の赤いのがいつも寝てるソファー。もし夜中だったら……)
どうにかテレビまでたどり着いてつけてみたら、東京よりも東北がひどいことになってると知り…。それでも最初は「電車いつ復旧するかなー?」くらいだったんですけど。1時間経ってもケータイも全くつながらず、Twitter以外では誰とも連絡が取れないまま、次々にテレビ画面にもたらされるショッキングな映像に、これはただ事じゃないぞと。
そのうちだんだん暗くなってきて…。最終的に、気仙沼市が炎上してるNHKの映像を見た時点で、とんでもないことになってしまったと理解。そこからはもう、部屋を片付けようという気力もなく…。風呂にも入らず、家から一歩も出ないまま金曜土曜とこの状態↓の中で、寝る場所だけ確保して横になって過ごしました。

土曜のド深夜に、T.M.Revolutionさんの一連のツイートとその盛り上がりを見て、ちょっと気力がわいてきて。いよいよ部屋片付けようと思って、輪ゴム買いに震災後初めて外に出てみたら、自分ちの近所の街は壊れてないし、コンビニもファミレスも普通に営業して、商品もちゃんと棚に並んでる。
結局自分は、会見の時間を間違えるといううっかりミスのおかげで帰宅難民にもならずに済んだし、部屋の中こそ近所の家の中ではMAX級の崩壊度な自信がある(笑)けど、ちゃんと家も建ってるし、雨風をしのげて、自分も元気に呼吸できてる。その紙一重さというか、この世に生まれてきて、今生きてることが、どれだけの偶然の上に成り立ってるかを実感したというか…。
とりあえず2日間、ガス使うのも怖かったからチキンラーメンを生でポリポリ食べた2食だけだったから、ファミレス入ってハンバーグ食べながら考えたんだけど。TM兄さんが音楽でみんなを勇気づけようと決めたように、これからは1人1人、自分にできることをやっていくしかないなと。
そこで考えたのは結局、自分は音楽ライターだと。アーティストの方が、楽曲だけでは伝え切れない思いを、文字にして伝えるのが仕事だと。じゃあアーティストが、被災者のために何かやろう、復興のために何かやろうって思ったなら、その思いを伝えるお手伝いをするのが自分の仕事だなと。
音楽イベントの中止やCDなどの発売延期といった情報をきちんと伝えていきつつ。「音楽で何かしたい!」と願う人たちがいたら、その思いがきちんと行き届くようにする。今までと変わらない。自分がこれまでやってきたことを、そのまま続けるだけ。
2011年03月11日(金)のツイート
2011年03月12日(土)のツイート
2011年03月13日(日)のツイート
↑今回だけオフィシャルリンクじゃないけどゴメンナサイ。94年のナンバーで、吉成圭子「明日への勇気」です。これまで、ダメになりそうなときに幾度となく救ってくれたこの曲にもう1回支えてもらいながら、明日もあさっても、信じることを、夢見ることを、あきらめないで生きていきます!
結局それが14時ごろまであって、その後16時のアポイントに向けて家を出たんですけど。家を出て1~2分歩いたところで物凄い揺れ!!! 最初はイヤホンで音楽聴いてたから何が起こったのか分からなかったんだけど、あわてて外すと信号機がガタガタ言いながら揺れてて、立ってるのがやっとの状態。
2~3分くらい揺れてたかな。とりあえず一番最初にしたことは、まだ揺れてる最中だったけど親に「大丈夫やけん!」とだけメール。揺れが収まってから走って家に戻ったら、下駄箱の上に積んであった音楽誌のバックナンバーが崩れ落ちてて、玄関から中に入れない!

けどまあそこは引っ張り出して入って行ったら、無造作に積んであってすでにもうグラグラしてたCDたちが完全に崩壊してて。床も廊下も全部ふさいで、空中に足場を見つけて移動しないと向こうにたどり着けない状態…。

(↑右の赤いのがいつも寝てるソファー。もし夜中だったら……)
どうにかテレビまでたどり着いてつけてみたら、東京よりも東北がひどいことになってると知り…。それでも最初は「電車いつ復旧するかなー?」くらいだったんですけど。1時間経ってもケータイも全くつながらず、Twitter以外では誰とも連絡が取れないまま、次々にテレビ画面にもたらされるショッキングな映像に、これはただ事じゃないぞと。
そのうちだんだん暗くなってきて…。最終的に、気仙沼市が炎上してるNHKの映像を見た時点で、とんでもないことになってしまったと理解。そこからはもう、部屋を片付けようという気力もなく…。風呂にも入らず、家から一歩も出ないまま金曜土曜とこの状態↓の中で、寝る場所だけ確保して横になって過ごしました。

土曜のド深夜に、T.M.Revolutionさんの一連のツイートとその盛り上がりを見て、ちょっと気力がわいてきて。いよいよ部屋片付けようと思って、輪ゴム買いに震災後初めて外に出てみたら、自分ちの近所の街は壊れてないし、コンビニもファミレスも普通に営業して、商品もちゃんと棚に並んでる。
結局自分は、会見の時間を間違えるといううっかりミスのおかげで帰宅難民にもならずに済んだし、部屋の中こそ近所の家の中ではMAX級の崩壊度な自信がある(笑)けど、ちゃんと家も建ってるし、雨風をしのげて、自分も元気に呼吸できてる。その紙一重さというか、この世に生まれてきて、今生きてることが、どれだけの偶然の上に成り立ってるかを実感したというか…。
とりあえず2日間、ガス使うのも怖かったからチキンラーメンを生でポリポリ食べた2食だけだったから、ファミレス入ってハンバーグ食べながら考えたんだけど。TM兄さんが音楽でみんなを勇気づけようと決めたように、これからは1人1人、自分にできることをやっていくしかないなと。
そこで考えたのは結局、自分は音楽ライターだと。アーティストの方が、楽曲だけでは伝え切れない思いを、文字にして伝えるのが仕事だと。じゃあアーティストが、被災者のために何かやろう、復興のために何かやろうって思ったなら、その思いを伝えるお手伝いをするのが自分の仕事だなと。
音楽イベントの中止やCDなどの発売延期といった情報をきちんと伝えていきつつ。「音楽で何かしたい!」と願う人たちがいたら、その思いがきちんと行き届くようにする。今までと変わらない。自分がこれまでやってきたことを、そのまま続けるだけ。
2011年03月11日(金)のツイート
2011年03月12日(土)のツイート
2011年03月13日(日)のツイート
↑今回だけオフィシャルリンクじゃないけどゴメンナサイ。94年のナンバーで、吉成圭子「明日への勇気」です。これまで、ダメになりそうなときに幾度となく救ってくれたこの曲にもう1回支えてもらいながら、明日もあさっても、信じることを、夢見ることを、あきらめないで生きていきます!