新境地。

俺はこんな言葉に弱い。


ガキの頃から常に異端児扱いされる事に慣れ切っていたのだけど、

この歳になって改めて異端児と称される自分。

こんな生き方も悪くは無いと、半ば諦め半分で自己認識している。


決して心情的にはベストではないけれども・・・。



ニヒリスティックな生き方を演じている訳ではないのだけど

気付いたら結果的にニヒリストになっている。


優しさと弱さとは紙一重。


弱さを優しさにすり替えながら生きて行くなんて

器用な芸当は俺には絶対出来ない。



無理に分かって欲しいとは決して思わない。

だから、俺みたいな異端児は絶対に理解しようとしないほうが良い。

次元の違い過ぎる話に間違いなく辟易としてくるはずだし。


俺の年収は同年代の平均よりも多めに稼いでるはず。

しかし、浪費したくとも欲しい物が無い。収入は数字遊びの一環としか思って無い。

これは金銭欲にまみれた人間が聞けば“嫌味”にしか聞こえないはず。



大多数の人間はそんなもんだから仕方がない。



自分の異端児ぶりを表現するのに一番適した例えだよね。


生命体を司るDNAという存在。

太陽を中心とした太陽系が存在するように、自分にとっての絶対的な中心

は何なのかを大多数の人は知ろうとしていないし、知っていても環境に飲まれて

自分というもの見失っている人が気の毒に思えて他ならない。


少々の我慢強さと、右へ倣えの精神を持てば食って行くには不自由しないような世の中の仕組み。


俺からしてみれば、そんなのどうでもいい

逆に少しもてあそんでやろうかと常に画策しているくらいなもんだし。


ま、元気持て余し気味な息子を産んでくれたおかんには感謝だね(笑)