間瀬弦弥さん、

一度は会いたいと思っていましたが、なんと令和元年に物故となられていたのをつい最近知りました。誠に残念。


間瀬さんとは当時は珍しい英国式の寮がある山手学院中高等学校で一緒で良く遊んでもらいました。

間瀬さんの方が一つ上で3期生、私が4期制でした。


寮では洋食が中心で悪くない記憶がありました。でも中高生は夜になるとお腹が空き空きでした。

山手学院は今でこそ住宅地と隣接していますが、当時は山の中で校舎の奥に寮が有ったのですが、一本道で

途中校長先生のお宅の前を通るプレッシャーもあり

学校の敷地から無断で外出は出来ませんでした。


買い出しは禁止されている中、山路を開拓し乍ら麓の売店へ行き、袋入りのインスタントラーメンを手に入れるのが、楽しみであり切実な問題でした。


所が先輩達が既に山路のルートを開拓しており、時に待ち伏せに会い、貴重なラーメンを没収されたりしていました。下級生は新たな山路ルートを開拓するのに竹藪を掻き分けていました。


ようやく手にしたインスタントラーメンですが、作る為にはお湯が必須なのに、寮生にはシャワーのお湯しか手に入りません。当時はティファールみたいに小型の湯沸かし器など無くて、仮に持ち込んでも隠す場所も無く、上級生にばれては大変なので誰一人まともなラーメンは食べられませんでした。


所が間瀬さんは、前代未聞の大発明をします。

超瞬間湯沸かし器を多分当時100円位で作ってしまったのです。


今は余り見なくなりましたが、電気コンロに使われているニクロム線が簡単に手に入りました。

寮の勉強机には100Vのコンセントが挿せるようになっていました。間瀬さんは延長コードにニクロム線をおたま(レートル)の形に加工して、空中では赤く発熱するニクロム線を大き目のコップの水に直接入れるのを自作していました。スイッチなど有りませんので、コンセントに挿すと、間もなくぶくぶくと泡が出て沸騰します。抜くタイミングの見極めが重要でした。


当初、500W?位で沸騰迄30秒近くかかってのが、徐々に出力を上げ最終的には2000Wの超瞬間湯沸かし器を製作しました。


2000Wは寮のブレカーが20Aだったのでほぼ限界値です。1区画で12名は居たと思いますので、誰かが電気を使っていた時はブレカーが落ちる事もありました。


この2000Wの湯沸かし器はニクロム線を直接水に漬けますので、コンセントを突っ込んで2秒位で大きい泡がブクブク勢い良く出て、とても危険で沸騰まで5秒の勝負でした。間違って空中に出してしまうと真っ赤なニクロム線が溶け落ちて危険でした。


間瀬さんはこの超瞬間湯沸かし器を「血迷い」と名づけていました。誰に自慢する訳でも無くて、何食わぬ顔で湯を沸かし、彼はお茶?紅茶を飲んみながら、両切りの缶ピースを吹かしながら、美味いなぁと言っていましたね。


中学生時代から間瀬さんは何から何迄別格でした。

もう会えないとは本当に残念でなりません。