2年前の今日、
わたしは薬物自殺未遂をしました。
夜中の2時に市販の鎮静剤を一瓶、ワインで流し込みました。
余命宣告とか
治らない動悸や焦燥感で
眠れない日が続いていて、
いっそ自力で終わりにしたくて
なんの迷いもなく、飲んでいた。
気がついたら病院にいた。
苦しくてつらいという胃洗浄もしたらしいけど、全く覚えいない。
たくさんのチューブが繋がれていて、
なんだか映画みたいだなと
他人事のように眺めていた。
母親と息子と彼氏がいたのがわかったけど
なんだかどうでもよかった。
生きてることに絶望した。
なんで助けたのどうせそのうち死んじゃうのに、と胸の中で独りごちた。
主治医はなれてるのだろう、淡々と、現状の説明をした。
うちにはメンタルの入院設備はないから
転院してください。
メンタル。せいしんか。精神かー。
ほんとにまともなつもりなんですけど。
内科の病気が原因で死にたくなるのも、
やっぱり精神科案件になるんですね。
それから2週間、
地元のメンタルホスピタルに入院した。
未知の領域。
1週間は点滴が外れなかったし、
食事もでなかったけど
看護士さんがたまに缶コーヒーをこっそりくれたり、お茶くれたり、不自由は感じなかった。
急性期病棟だから、
精神状態が活発な方が多く、いきなり首を絞められたり、
部屋に突然入って物色始めたりと
ハプニングはちょこちょこ起きた。
広間からレクリエーションのカラオケが流れてきて、わたしもこれ出るのかよ…と考えて本気で帰りたくなった。
だってわたしまともなつもりだから。
点滴が外れても個室からは出なかった。
得体の知れない行動をする人ばかりだったし、仲良しさんを作るつもりもなかった。
だってわたし以下略
私物は全部ナースステーション管理なのだけど、わたしの場合、精神状態がまともなので自室管理になったのは嬉しかった。
なんだろう、他人から信頼されたことが嬉しかった気がする。
ただ
お気に入りの服や下着にことごとく
カナコ、と名前を書かれてしまったのが
地味にきつかった…
それ、ハンロのキャミソールです…
あと入浴はみんなでするんだけど、
監視されながら入るんです。
要介助の患者さんもいるから
入浴は慌ただしかった。
一度1人で入浴した時も入口には看護士さんがいて、行動をチェックしていた。
シャンプーなんか飲まないって。
最初の食事は嚥下食。
玉子豆腐みたいなツラして
食べたらバナナ味のゼリーや
胃液の味しかしないゼリーに
亀のかたちをしたお茶のゼリーは
どれも不味くて食べられません。
試しに、見舞いに来た息子にあげたら
マジで吐いたから。
昼間はいろんなテストを受けた。
ロールシャッハ。つみき。計算などなど。
試されてる感が非常に不愉快だった。
窓は10センチしか開かないから
外もまともに見られない。
1日が長かった。
夜になると、薬で無理矢理眠らされた。
だから、わたしまともなんだってー。
結局
入院したことで、わたしの病気に名前が付けられた。
今まで縁がなかったジャンルの薬を山ほど処方された。
だからわたしまと以下略
入院中、
貧血治療は全くしなかった。
してもらえないのかできないのか何なのかわからない。
動悸やめまいもなくならないし、
ヘモグロビンは低いままなのだけど
科が違うとこんなものか、と
医療に対して不信感みたいな、諦めにもにた何かを感じた。
2年経った今日
メンクリにはもう通っていないし
内科の病気で相変わらず入退院を繰り返しているけれど
なんとかまだ生きられています。