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沙羅双樹

何か、ご縁があったとしか思えない西国33観音霊場巡り。

また、家族との思いで。などを残して行きたい。

宜しくお願いします。

3月3日。
といえば、世間ではひな祭りなのだが、うちでは、毎年、母の誕生日である。

私や妹が小学生の間は、母は、7段飾りを出していてくれたのだが、中学生に、なると母も仕事が忙しく私達子供も塾や習い事で家を空けている時間が長くなった。

それでも、私達子供は、小遣いをためて毎年、母の誕生日は祝っていた。


昨年、夏辺りから、母のパワフルさがない。

どうしたのかたずねてみた。

どうやら、職場の男性職員の一部から、"おばあちゃん"や、"ババア"だのと言われているらしかった。

これには、私も腹が立っていた。おしゃれ好き、買い物好きの母が諦めたようになった。

母が使っていた化粧水。買わなくて安物になった。なんでもいいねん。こんなババア。と、母の口から聞かれる。

私は、母の化粧水が、なくなるたびに以前のものをかっていた。服も、買いに出掛けた。

今回、私は、母の還暦祝いと、いうか、誕生日プレゼントに母のお気に入りのメーカーの靴をプレゼントした。

母の趣味にあって、サイズも会わせなければ、、だと、取り寄せになる。イタリアから。それでも、母が、また、パワフルになって、元気を取り戻せるなら、金なんて気にしない。私は、皆が笑うために働く。しんどいけど、はたらく。

母は、私の趣味のツーリングにも理解をしてくれて、子供たちの面倒までみてくれる。感謝しかない。
こうやって、働けるのも趣味を楽しめるのも母のお陰だ。もちろん、子供もだ。

昨日、取り寄せていた靴が入荷したとショップから電話が入っていた。仕事が終わり、即、取りにあがった。

その、靴を見ると、母の笑顔が、浮かんだ。

明日の朝、夜勤から帰ってきたら、私の子供たちと渡そう!そして、一人一人、母に手紙を書いた。

夜勤から帰ってきた母。
私は、子供たちと一緒にプレゼント
を、渡した。

母は、夜勤あけだが、笑顔に、なって、すぐに、外に行こう!と、言ってくれた!出掛けたい!

私は、母のワガママプランになんでも応じることにした。


B 級グルメ。実は、食べてみたかったものがたくさんあった。私とたまにいくカフェだと、なんだか落ち着かなかったそうだ(-""-;)ごめん。女子力アップと思ってたの。




いよやかの郷。温泉。駐車場から温泉まで、母は、脚が軽いわ!と、言ってスキップしてた。温泉は、混んでいた。が、たっぷり二時間。母は、60年の垢を落とすんだーって!言ってた。
次に、母のリクエスト。カラオケ。

和泉市の街の方まで出た。二時間歌った。孫とカラオケができて喜んでいた。因に、息子達のカラオケデビューだ。モモクロや、ウルトラマンを熱唱してた。母は、大好きな一青窈のハナミズキを、歌った。迂闊にも私は、泣いてしまった。母は、大声を、出すのも久々で、気持ちがよかった!また、歌いたい!と、喜んでいた。

夕方6時。、弟が、狭山市のサクラという、そうさくダイニングを、予約していてくれた。



なので、カラオケから直行した。
母は、若い頃のように、夜勤明けでも楽しく遊んでるわ!と,クルマの中でニコニコしていた。

この、サクラ。

横浜から、急遽祝いに駆けつけた妹と、その息子も参加してにぎやかになった。

母、弟一家、妹と甥っ子。私達母子三人。

それは、それは、賑やかになった。お料理もおいしかった!

母は、私より酒が強い。焼酎をガンガン空けていく。今までの子育てや、仕事の話しになる。



ケーキカット。孫と。

最後は、弟からの手紙。

母は、泣いていた。

帰りの車の中。

ずっと、泣いていた。本当にええ子供たちに祝ってもらって幸せもんや。と、ずっと、泣いていた。

母が、働く姿。母としての姿を見ながらうちらは育った。弱音は、私にしかはかへんけど。。

なんぼでもきくで。母がこれからも笑ってくれるのなら。

母が、私にしか弱音を吐かないのは、、働く母にとってかわって小学一年から家事や、弟、妹の面倒と
DVの父を怒らせないように母と必至にやってきた戦友みたいなもの。。だからだそうだ。(笑)

これからも、母であり娘であり戦友の私と乗り越えて行こう!ちいさな兵隊の、孫も年々、強くなっていっているからね。




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