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米国公認会計士(USCPA)のサイド・ファイア

資格、キャリア、投資、英語、海外移住、会計、企業、起業、サイド・ファイアなどに関して自分なりの考え方を展開し実践しています。

飼い主様からの独立を夢想する一匹の猫の物語。つまり我輩は考える猫である。

 

  外資系・海外転職サイト CareerCrossの衝撃

唐突ですが私が、英語求人サイトで海外移住に成功した求人サイトはその名もCareerCrossです。

 

今世間では、DaijobとかenWorldとかリクナビとかIndeedとかいう所謂外資求人の豊富さを謳っている転職サイトは山ほどありますが、未だこのCareerCrossという求人サイトを知っている人は余り多くはないのではないでしょうか。

 

ただ、外資系への転職もしくは海外就職を本気で求めて来た人は、一度は聞いたことがある名前の筈です。

 

当時の話ですが、転職専門誌や数々の日系大手転職サイトに掲載されているようなブラック企業の英語求人がごろごろしているサイトとは質的に違うと思います。

 

ついでに言うと、どこにそんなんいるんだよみたいな超ハイスペ人材を平気で求めてくるRobert Waltersとか、Morgan Mackinlyなどとも違っていたのです。

 

日系大手転職サイトは、その実、こってこての日本人転職エージェントが案件を日本的狭き視野から掻き集めてくるものだから、求人案件がいつもなんかこう外資のくせに純ドメっぽい香りのする会社ばかり勢ぞろいしているのです。

 

日系大手転職サイトやエージェントはこの傾向が非常に強く、大概全然望んでない企業への応募を猛烈に押し付けてきたりするのです。

 

一方、Career Crossは、MONSTERのように文字通り無数の国々の外資グローバル求人を専門的に掲載しているだけでなく、Career Cross Japanは日本人の真のバイリンガルをターゲットに、主に日本の英語外資系や海外就職に特化した正統派の求人サイトでした。

 

このサイトは多分、超穴場だと思います。

 

ぶっちゃけて言いますが、掲載している求人は、転職エージェントが間に入っている案件も確かにありますが、実は企業の採用担当者が内部事情などで、直接こっそり案件を出して応募している優良求人も結構あるのです。

 

ここで一つ注意なのですが、外資系の就職は、プロフェッショナルとしての経験が全てといっても過言ではありません。

 

ですから、それぞれの職種のJob Descriptionにそれなりに、かなりハイスペックなスキルを必ずといってよいほど要求してきます。もちろんビジネス英語しかりです。

 

でも、そこで怯んではいけません。

 

海外文化圏、特に英語文化圏では自信があるということを非常に評価する傾向にあるからです。日本は謙虚というのが美徳ですので間逆ですよね。

 

その自信をカバーレターで情熱的に伝え、英語レズメでは自ら主体的に、ビジネスアクションをとり続け、常に成果を挙げ続けてきた優秀且つプロフェッショナルな人材であることをより具体的に、定量的且つ定性的に表現することに心がけてください。

 

そして、ドキュメントをアップしてスカウト機能を利用して沢山アプローチを獲得し、また自ら理想の企業を探り当て本物の転職を是非勝ち取ってください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 損益計算書はパチンコ台である

実は私は、米国公認会計士になるまで、貯蓄することの本当の意義を全然知りませんでした。

 

寧ろ世間の風潮として、金は天下の回り物とか、お金は使ってこそ意義があるとか、若いときはお金を使って経験を買いなさいとか、住宅は資産だとか、家を買うときの借り入れは借金じゃなくてローンだとか、お金を使わないと金持ちになれないとか、そんなとんでもない嘘に踊らされ、高級ブランドブームだとかで、最新の流行のモノにすぐ飛びついたりして常に散財しておりました。

 

何より日本では薄給ブラック企業勤めで、そんな風に世間の風潮に踊らされて浪費を繰り返していたので残るものなんてありゃしませんでした。

 

幸い住宅は、長い間海外移住でしたので、引越しばかりしていて、鬼借金して新築マンションや一戸建てに手を出す機会がありませんでした。

 

私は、海外で米国公認会計士となった訳ですが、あれから大分長い年月が経ち、会計のプロフェッショナルとして、生きている内に貯金することの本当の意味と重要性に遂に気づいてしまったのです。

 

それをご説明する前にまず、会計で言う収入はフローであり、貯金はストックであるということについて少しお話します。

 

フローは流れて消えて行くもの、ストックは溜まっていくものです。

 

フローとは主に、企業会計原則から発達した動態論から導き出される損益計算書観のことです。

 

これはある期間のお金の流れを表す計算書のことです。

 

これにもっともよく当てはまるのが、パチンコ台です。この場合、パチンコ玉はお金、パチンコ台はお金を流す機械だと思ってください。

 

パチンコは玉を補充して、レバーを握って打つゲームですが、球(お金)は常に上から下に向かって落下していきます。

 

その間に、上から投入された球(お金)は、台の釘に何度も跳ね返されながら最後は一番下の穴に落ちて吸い込まれていきます。お金が吸い込まれて消えていく現象、これを会計では費用と呼びます。一旦穴に吸い込まれた球は費用としてそれ自体では二度と帰ってきません。

 

ところが、ごくまれに、偶然途中の穴にたまたま球が吸い込まれて行き、出球フィーバーが始まって、投下した球の数の何倍もの出球が帰ってくることがあります。これを収益と呼びます。

 

これを続けて行くと、いつしか球の箱が一杯になって何段にも積み重なることがあります。これがストックであり、貸借対照表では資産です。

 

もう一度言いますが、フローは上から下に向かって消えて行くもので、ストックは残るものです。

 

え、でも一番下の球受けに球が残っていたら消えてないじゃないか?と思われるかもしれません。

 

確かにそうです。

 

でも、その球ってきっと両替するとき、パチンコ台の球受けから箱に移しますよね?

 

この球をパチンコ台(フローである損益計算書)から箱(ストックである貸借対照表)に移す作業を会計的には損益勘定に振り替える(貸借がゼロになって損益勘定が閉まる)、つまり消えてしまいます。

 

最終的に、換金後にお金がポケットの財布やら銀行口座やらにストックされたときのことを損益勘定から貸借対照表の利益剰余金に振替える処理と殆ど同じなのです。

 

皆さんは、なんか会計ってめちゃくちゃ簡単な仕組みだなと思われたかもしれませんが、これを本当に理解するのに、実は何年も掛かったりします。

  2. 働くというのは自分の命を差し出すということ

さて、それでは、本題の貯金するということの重要性について考えてみたいと思います。

 

あなたは現在、何処かのブラック企業で長い間働いているとします。そうですね。10年とかの長い間です。

 

それは、毎日が壮絶な戦いです。納期や顧客のクレーム対応に追われ、会議の資料作りに、事務処理、就業時には日付が変わっているなんて結構当たり前で、そのせいで終電後に会社からタクシーでなんとか負担できるくらいの近距離で割と高い家賃のところに住んでいるとします。もちろん会社からはタクシー代なんて出ません。

 

就業形態が余りに過酷な上、パワハラ上司が、日々のストレスにスペシャル・トッピングを掛けてくるのでメンタルと自尊心が皺くちゃのワイシャツみたいになっています。

 

毎月の残業時間は80から100時間を行ったり来たりしています。これだけ残業していても、基本給が安いためどうがんばっても月収は30万円くらいにしかなりません。もちろんボーナスは寸志程度です。

 

でも、あなたには誇れるスキルがありません。スキルがないということは、別の会社に行っても同じ待遇のままという可能性が高いということです。

 

ブラック企業を生き抜き、きちんと毎日働いているのに一向に貯蓄が増えません。

 

10年働いていても月次で一杯一杯お金を使ってしまい、多少残ったとしても、それすらも貯金として残らず、最終的に月末付近になると銀行残高はいつも限りなくゼロに近くなって行きます。

 

こうした激務ゆえ、土日や休日は、スマホを見る以外はだらだらと昼過ぎまで寝て過ごして、コンビに買出しに出かける日々です。

 

なんてったって時間がないからです。すべてのエネルギーを仕事に吸い取られているからです。

 

うつ病すれすれで、冷静に考える力も失われています。

 

いまある現状を把握して、スキルアップに努めて自己投資して自分の価値を向上させ状況を打開するお金も時間もありません。

 

激務と労基法すれすれの総残業時間を繰り返すうちに一体何がしたいのか、何のために生きているのか分からなくなっていきます。

 

こういう風に、貯蓄がなくて辞めるに辞められず会社に縛られて人生を生きている人は一体どれくらいいるでしょうか?

 

現実を直視すると労働時間というのは、命の時間を差し出すということと同じです。当たり前ですが、労働時間という命の時間を差し出しているのに価値がないわけがありませんよね?

 

でももう一度考えてください。その大切な命の時間を差し出した代わりに得た対価というものが、いかに安く、低く、都合よく見積もられているかを。

 

 

  3. Youtuberやブロガーでの成功より地道に貯蓄でアッパー・マス層へ到達するほうが容易!?

 

 

これまでの嘗てあった価値体系や、価値観は一旦全部捨てたほうが良いです。前近代的道徳的な職業感も最早意味を成しません。

 

その証拠に、新時代のYoutuberたちの職業感やお金の稼ぎ方を良く調べてみると良いでしょう。

 

でもそうは言っても、Youtuberや副業やブログで満足に稼げている人は一体どれくらいいるでしょうか?

 

本当にクリックひとつで月収50万も稼げるのでしょうか?

 

(ご安心ください。当ブログ主は米国公認会計士であり、プロフェッショナルな会計士です。

 

この行の下に変なリンクが張ってあって貴方を怪しい商売へと誘うアカウントではありません。)

 

おそらくそれらのウマイ話は、資産3000万円というアッパーマス層に到達するより遥かに難しい試みだと思います。

 

話をもう一度会計に戻します。

 

損益計算書はフローとして実体のないものですので、名目勘定と呼ばれます。いわゆる名ばかり勘定です。

貸借対照表は現金などの実体があるため、ストック勘定などと呼ばれます。

 

このフローとしての名目勘定は、実はお給料(収入)がそれに当てはまります。

お給料は、日々の生活費などの費用に費消されてゆき、残ったものが、貸借対照表の実体勘定に形を変えます。個人ではこれを貯金と呼んでいます。

 

フローとしての収入が、最終利益である純利益に残らないとすると、貸借対照表にストック勘定として残りません。

 

言ってしまえば、何もなかったに等しいのです。

 

何もなかったわけないだろう。少なくとも働いたという事実は残るし、生きることはできたじゃないかという声が聞こえてきます。

 

 

  4. 貯蓄というのは人生の時間と引き換えに労働から得た自分の価値の証明

ここで重要なのは、働いたという事実は誰が証明し、手元に残っている証明は何なのか?という問題です。

 

やりたいことを自由にできずに、人生の大半の時間を犠牲にして一体何を得たのか?

 

あなた自身に対して、あなたが働いたという価値をどのように客観的に証明すことができるのか?

 

という問題です。

 

その答えは貯蓄にあります。

 

それは、自分の労働の経済的価値と労働時間とを労働市場(企業)に投入して、それを金銭という対価に転換して、生活費などの必要経費を差っぴいて残った現金、つまり貯金が、自分が働いたという唯一の現存する証明になるのです。

 

働いた時間、働いていたという事実はすべて過去であり、すでに終わっていますので殆ど誰も覚えていません。唯一残っているのは僅かに残るほろ苦い記憶だけでしかありません。これが、名目勘定である損益計算書の正体です。

 

ところが、日本は動態論を重視しすぎたがために、企業は収益力を重視し、個人は年収という概念に固着して、ストックである貸借対照表を未解消項目として、いかにも中途半端に疎かにしてきたのです。

 

貸借対照表に計上されたストックである現金は、使わなければ永遠にあなたの労働の価値を証明する輝かしい資産であり証明になります。

 

あなたが働いた労働時間という過去の事実を現在に繰り越して照明する効果が貸借対照表に計上される貯金(現金預金)の本当の意味なのであります。

 

そして、資産である貯金というのは、不労所得という新たな収益や自己投資や金融投資によって、新たな価値を生み出す源泉ともなり得ます。

 

現代の世界的潮流は、IFRS筆頭にバランスシート・アプローチであり、日本もこの方向性へ早急に舵を切る必要があるのではないでしょうか。

 

貯金するということに関してもう少しお話させてください。

 

ところで、この『貯金』って言葉、めちゃめちゃ陳腐だと思いませんか?

 

ーちょきんー

 

なんでしょうか、ちょこんの親戚みたいな音の響きは。

 

なんかこれだけでモチベーションが下がるのは私だけでしょうか。

 

ですので、敢えて貯蓄といったほうが良いかもしれませんね。

 

それはさておき、現代資本主義社会と株式会社はユダヤ人が作ったといわれて久しいのですが、アメリカの税法では、企業税法は個人の税法を基準として体系化されております。

 

つまり、基本は個人なのです。

 

企業も個人の集合体ですから、ぶっちゃけていうとそれほど違いはありません。(暴論)

 

ただ、違うのは、企業は収益や費用や利益に個人の100万倍の注意を向けているということです。

 

だから、月次、四半期、年次と年がら年中、計算書を作ってバタバタしているのです。

 

これを個人に置き換えると、収益は給料であり、費用は生活費その他諸々であり、利益は貯金いや貯蓄なのです。

 

この冷徹な現実を垣間見る時、一体どっちのほうが大切なのかすぐお分かりになると思います。

 

当たり前ですが、自分の給料は少なくていいから、企業が儲かればそれでいいなんていう人はいませんよね。

 

逆にそう思っては絶対にいけません。

 

そうです。どっちが大切かって個人が絶対的に大切に決まっています。

 

そして見落としがちですが、企業は利益を得るために、活動しているのです。利益を得るために、逆に言うと利益を得るためだけに存在しているのです。もし利益が取れなかったら、そこに社会的意義なんて存在する余地もありません。倒産するからです。

 

要は個人も同じなんじゃないですかということです。

 

先ほど、個人の純利益(税引き後の利益)は貯蓄だといいましたが、これを意識している人はどれくらいいるでしょうか?

 

企業はコストを下げるために血の出るような努力を日々繰り返しており、本当に頭から血を流している人までいます。できるだけ収益を上げるために限界まで血眼になって売上げを伸ばそうと、本気で社員の頭が可笑しくなっている集団も存在します。

 

では、個人はそこまでやっているのか?という疑問が生じます。

 

利益(貯蓄)を増やすためにそこまで考えて行動し且つ、貴方が企業でしているような利益獲得の努力をしているのかということを冷静になって考えてください。

 

現代社会はモノが溢れかえり、前近代ではなし得なかったインフラとサービスの洪水にさらされています。モノが溢れすぎて、大量に廃棄され環境が、海が、汚されています。私のTシャツは400円かそこらです。靴はワークマンで買った2000円のスニーカーです。現場仕様なのでめちゃくちゃ頑丈です。家にあるものは殆ど貰い物です。頼んでもないのに勝手にモノが集まってくるのです。

 

テレビを見なくなった代わりに、大衆消費社会の洗脳から解かれ、逆に何が流行なのか流行っていないのかも良くわからなくなっているため、服も靴もブランドかどうかなんてどうでも良くなりました。気に入っていればいいんです。

 

コンビには殆ど利用しません。家具も基本買いません。家賃も14万円から5万円程グレードダウンしましたが、寧ろ今の住まいのほうが気に入っています。その生活にはとても満足しています。

 

満足しなかった一番大きな理由は、洗脳装置であるテレビや雑誌に絶対に満足しないように強制的に思わされていたからです。

 

現代人の平均年収は劇的に下がりました。その代わりに、同じ商品のプライス・レンジの幅は下にも上にも劇的に拡大しました。

 

企業の月次処理をこなしていると、なぜ月次報告が重要なのか良くわかります。

 

人間が凡そカレンダーの月次単位で経済的に動いているからです。

 

その月次単位というのを利用して、個人の財務諸表である家計簿を付けるというのはとても重要な作業ではないかと思うのです。

 

私は、それを一般に公正妥当と認められる会計原則に従って、月次マキシマム・プロフィットという名前を勝手につけて、月次で幾ら利益を上げたのか、つまり貯金したのかを把握しています。

 

それは、個人が企業であり、私個人がその企業経営者であるという揺ぎ無い信念があるからです。

 

貯蓄額は、自己が命を削って労働によって成し遂げた価値の証明(会計では回収余剰とも呼ぶ)であり、来るべき人生の転換のための独立への資金源であり、それをさらに不労所得によって増大させる投資資金であり、いつか本当の出費が必要な時に、その時にこそ強力な力を発揮することになるのです。

空港のロビーをEXITした後に始まる、TAXI乗り場を探す壮大な冒険。

 

私は、うっすらとそれ予感していた。

 

ところが、それは数メートル先の視界にもうちゃんと用意されていた。

 

ここでは交通システムは整然とシームレスに無駄なく機能していた。

 

『Que Here』

 

お見事じゃないか。ここから並べってことだろう?

 

すべらかな流れの心地よさに眠気すら覚えるくらいだった。

 

並んでいる前の旅人数人が車の中に次々と吸い込まれていく。

 

それを眺めながら自分の番を待った。

 

そして、颯爽と私の目の前に滑り込んできた車はヒュンダイのソナタだった。

 

停車したスカイブルーの車体は鏡面のように光輝き、後部座席のドアが音もなく開いた。

 

『こ、これが韓国の車?』

 

ドライバーにスーツケースを預け、自分は後部座席の本皮っぽいシートに身を埋める。

 

車内はギンギンにクーラーが効いていた。

 

ドライバーシートの男が徐に私に問いかける。

 

『日本人で・す・かぁ?』

 

『え?どうしてわかるんですか!?』

 

ていうかどうして日本語なんだ。

 

『 I see lots of Japanese come here and pick them up every day La. That's why La.』

 

男の英語の発音が完全に訛っているが、はっきりとそう聞こえた。

 

『So where?』

 

唐突に行き先を訪ねてくるので概ね会話が成立していない。

 

『Could you please take me to Little India?』

 

『Ok La. Little India right? Which one?』

 

最後のWhich oneというのは、きっと、リトル・インディアのどのホテルに行きたいのか?と聞いているのだろう。

 

見ようによっては日本人にも見えなくもないアジア系のドライバーが、聞いたこともない英語の発音とスピードで話しかけてくる。

 

ギンギンのクーラーで凍えそうになるほど快適な冬のソナタは、私を乗せてリトル・インディアへ向かった。